『まちづくりに疲れた人へ。&おむすびワークショップ』(2015.04.26)レポート

はじめに

去る2015年4月26日(日)、コミュニティスペース「okatte西荻」において、まちづくり講座が開催された。講師には、京都でまちづくりの仕事に携わる社会学者、谷亮治である。なお、本レポートは谷によるセルフレポートである。

本講座のタイトルには『まちづくりに疲れた人へ』とある。これはどういうことだろう?本来、まちづくりとは、当然ながら「まちのみんなのためになるもの」であるはずだ。むしろ、疲れどころか、やりがいと喜びを感じられそうな響きである。確かに、ボランタリーな活動となることも多い。しかし、嫌ならやらなくてもいいものであるはずだ。にもかかわらず、「まちづくりに疲れてしまう」人がいるようなのだ。これは一体どういうことだろう?

そんな状況を指して、講師の谷は、「まちづくりには、呪いがかかっている」と大胆に指摘する。まちのみんなの幸せと喜びを願ってはじめたはずのことが、頑張れば頑張るほど疲弊し、後ろ暗い気持ちを生みだしていく呪いだ。

私たちは、この「呪い」を解くことはできるのだろうか?

本講座では、谷が昨年上梓した著書『モテるまちづくり-まちづくりに疲れた人へ。』を元に、まちづくり、あるいはコミュニティづくりに必然的にともなってくる「疲れる呪い」の正体と、それに対する処方箋を考えることとした。

 

「まち(の人なら誰でも利益を享受できる、公共の財産)づくり」とオルソン問題

まず、まちづくりに関わる谷の基本的な考え方を見ていこう。谷は、まちづくりが多義的なバズワードとなっていることを踏まえた上で、まちづくりという言葉を、「まち(の人なら誰でも利益を享受できる、公共の財産)づくり」と整理しなおす。例えば道の門掃き、登下校時の子どもの見守り活動、まちの人達の話し合いの場づくりといった事業や、商店街のアーケードや道路の安全ポールなどのハードにかかわること、地域の未来像や地域のルールといったアイデアにかかわることなど、私たちが日ごろ「まちづくり」と聞いてイメージするものは、いずれも「まち(の人なら誰でも利益を享受できる、公共の財産)づくり」として説明できる。

このような財は、専門的には「公共財」と呼ばれている。公共財とは非競合性(誰かが使うと他の人が使えなくなる程度の低さ)と、非排除性(対価を支払わないなど特定の利用者を排除できる程度の低さ)のいずれか一方の性質を備える財のことを指す。一般には道路や国防などのインフラや水や空気などの天然資源を指す。しかし、谷の理論は、前述のような地域活動も公共財の一種と位置づけていることが特徴だ。

まち公共財は、まちのひとなら誰でも使えて、人々の暮らしを豊かにする。そういった財産がまちに増えれば、そのまちは豊かに、暮らしやすくなっていくことについては、おそらく多くの人の同意を得られるところだろう。

しかし、「じゃあ、まちを良くするために、門掃きが必要だと思うので、あなたやってくれますか?」と聞かれればどうだろう?「いや、それはちょっと…」としり込みするのが自然ではなかろうか。

まちづくりは、当然「まちのみんなのためになること」である。「みんなのためになること」とは、「自分がやらなくてもいいこと」であり、時に「自分が労力を犠牲にしてやったのに、他の人が自分の労力にタダ乗りし、同じように協力してくれなければ、自分だけが損してしまうこと」でもあるのだ。それゆえに、作られれば誰もが豊かになるはずの財産を、誰も作れない、というジレンマが生じてしまう。このジレンマは、その存在を指摘したアメリカの経済学者マンサー・オルソンにちなんで、オルソン問題と呼ばれている。

まちづくり活動は、最初は「みんなのため」という情熱で始められることが多い。そして最初はやりがいを持って取り組めるかもしれない。だが、想像してみてほしい。あなたがみんなのためと思い、自分の余暇を犠牲にして門掃きしている目の前で、ごみを捨てていく人が通り過ぎていくのを。門掃きのおかげで歩きやすくなった道を、あなたへのお礼も感謝もなしに、踏みつけていくのを。そういう場面を目にすることが積み重なっていく時、あなたの心に後ろ暗いものが生じないだろうか?そうすると、こう思ってしまう時もあるかもしれない。みんなも自分と同じように犠牲を払って門掃きをすべきだ、と。自分と同じくらい損をすべきだと。

そう、この時、みんなの幸福と希望を願って始められたはずのまちづくりが、フリーライダーへの恨みと怨嗟に崩れていく。まさに「呪い」である。それゆえ、本来やりがいと喜びを感じうる、まちのみんなのためになるものであるはずのまちづくりに、疲れてしまう。

 

まちづくりにかかった呪いを解くために…「自分を幸せにするために始めること」

では、この呪いを解くことはできないのだろうか?そんなことはない。実際に、そのような呪いに足止めを食らうことなく、みんなの幸福を実現しているまちづくり活動は多く存在する。谷はそれらの先行事例の知見を踏まえながら「みんなのために自分を犠牲にしてはいけない。まず自分を幸せにするために、自分で始めよう」と主張する。

うかつに「みんなのため」を願い、自分を犠牲にしてしまうからこそ、フリーライダーに対する呪いを生んでしまう。ならばこそ、自分を犠牲にせず、自分の幸せのために始めよう。「まちのみんなのため」になるはずのまちづくりのイメージからすれば逆説的な理解を谷は述べる。

しかし、そうすると、こんな反論があるかもしれない。「自分さえよければ、みんなのためにならなくていいのか?」と。

谷は、この「自分さえよければ、みんなのためにならなくていいのか?」という問いが生じる前提にある、「自分の幸せとみんなの幸せをトレードオフの関係に置く」考えこそ、呪いの源泉だと指摘する。本来「まちのみんな」の中には「自分」も含まれていたはずだ。自分を犠牲したみんなの幸福も、みんなを犠牲にした自分の幸福も、どちらもおかしい。本来願うべきなのは、「自分が幸せになり、結果、みんなも幸せになること」であったはずだ。

つまり、谷の主張は、自分とみんなの幸せをトレードオフにする考え方を変えることで、まちづくりにかかった呪いを解こう、というものだ。

そして、谷は「自分もみんなも幸せにする人」のことを「モテる人」だと主張する。まちづくりが、「自分」と「みんな」の幸福をトレードオフにする安易な考えを乗り越えて、「自分も含めたまちのみんな」が幸福になるまちづくりを目指そう。この主張こそ、谷の著書の表題『モテるまちづくり』の由来なのである。

 

今後の課題…必然的に不特定多数を併せのまねばならない、まちづくりの宿命について

前半の谷からのレクチャーをふまえ、後半では、クルミドコーヒーの影山知明氏と谷との対談の時間が持たれた。

影山氏は、谷の理論に関して「一言で“まち”というとき、どこまでを“まち”と考えればよいのか」という論点を提示した。確かに「まちの人なら誰でも使える公共財」という時、その「まち」がどこまでを含意するものか、ということは重要な意味を持つ。また、影山氏は、直近に書かれた著書『ゆっくり急げ~人を手段化しない経済』で、顔の見えない「不特定多数」と取引する経済の限界と、これからはある程度顔が見える「特定多数」と取引する経済の可能性を指摘している。影山氏のこの質問には、そのような考えが背景にあるといえる。

これに対して谷は、影山氏の「不特定多数」ではなく「特定多数」と取引することの必要性に強く同意する一方で、まちづくりが「まち」という抽象的な範囲を相手にするために、否応なく「不特定多数」を併せのまねばならない宿命を背負っていると答える。『モテるまちづくり』は、そのような状況でどうにか呪いを解くための方法論ではあるが、根本的には、この顔の見えない不特定多数の人々と付き合わざるを得ない「まち」という枠組みを、顔の見える特定多数の人々との関係へと編み直す必要があるのかもしれない、という今後の検討課題を谷は述べた。

 

思い出を共有する共同作業

対談後は、参加者全員でおむすびを作り、食べるというワークショップを行った。ワークショップは、お米好き男子で構成されたおむすび屋ユニット「山角や」によって運営された。人々は自分のためのおむすびを作ると同時に、もうひとつ、この場に参加する誰かに食べさせるために、思い入れを持っておむすびをつくる。相手の味の好みなども聞きながら、ひとつひとつ丁寧に。そして互いに相手のために作ったおむすびを交換し合い、食べ合うのである。もちろん、上手には作れないかもしれない。形はいびつかもしれない。しかし、初対面同士の人々が、作ったおむすびを共に作り、交換し合うという経験は、参加者同士の関係性を強めたと感じた。

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谷の理論によれば、「共同作業に基づく共通の記憶」もまた公共財の性質を帯びる財の一種と説明できる。共通の記憶は、当然だが、何度使ってもなくならないし、お金を支払わないと使えないということもない。まさに公共財である。

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参加者がつくったおむすびたち

このような共通の記憶が人々の間に作られることで、私たちは、お互いのことを良く知らない匿名の「不特定多数」から、お互いを知り合っている「特定多数」へと変化していくことが可能になるかもしれない。とするなら、そういった共通の記憶を積み重ね続けた延長に、「まち」という枠組みを編み直すまちづくりもまた、あるのかもしれない。少なくとも、このおむすびワークショップで私たちは、ただの不特定多数から、少し、顔の見える特定の誰か、へと変わることができたかもしれない。

このように、「モテるまちづくり」の理論を実体験するようなワークショップであった。

 (文責:谷亮治)

 

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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