米(田)を売って、学校(人と地域の育つ場)をつくる  ~石巻・川の上プロジェクト

 

プロローグ~米百俵の精神

戊辰戦争後、廃墟となり困窮していた長岡藩にお見舞いとして米百俵が届いた。

大参事を務めていた小林虎三郎は「食えないからこそ、学校を建てて人材を育てるのだ」という信念を貫き、皆の反対を押し切って学校を建てた。そこから山本五十六をはじめ多くの有為な人物を輩出し、それが長岡の復興に繋がったという。

目先の利益にとらわれることなく、先を見据えた姿勢が、米百俵を何万倍もの価値に変えた─。

宮城県石巻市は東日本大震災で最も大きな被害をうけた地域のひとつである。元の土地で住むことができなくなった人々の防災集団移転先となったのが、石巻市北東に位置し内陸部にある川の上地区である。元々住んでいた住民400世帯のこの地区に、新たに400世帯が2017年から順次集団移転してくることになった。

新旧住民は議論を重ね、互いが出会うきっかけとなる場となることを願い、私設コミュニティスペース「百俵館」をつくった。

1.外観1

(※)

2.地域の交流会

そこにはどんなストーリーがあったのか?石巻・川の上プロジェクト理事で、若手世代の中心メンバーである三浦秀之さんにお話を聞いた。

 

プロジェクトの発足

「私の出身の川の上地区は、いわゆるのどかな農村地帯でした。震災で直接的な被害はあまりなかったのですが、目の前に自衛隊の基地ができて。そのなんともいえない物々しさというか、風景の急激な変化に対応できず、心が落ち着かない心を閉ざしてしまった時期が地区のなかにあったんですね」

 

そんな時期に、防災集団移転地として川の上の田んぼエリアが候補にあがった。大規模な仮設住宅が設置され、もともと海岸地域に住んでいて被災した人々が、この山と田の地域に避難してきた。

気持ちの整理もままならない待ったなしの状況のなか、旧住民たちは、4年後の本格的な集団移転の受け入れにむけて「新旧住民でどのように関係性を構築するか」というテーマに向かい議論を重ねるようになった。

 

プロジェクトの若手メンバーらは、ダムにより集団移転を余儀なくされた村やニュータウンの再開発など、全国の事例を視察してまわった。なかでも、長野県小布施町の「オブセッション」を見学したときのこと。学びの場をつくることは良さそう、しかしそれ以上にその後の懇親会が純粋に楽しいじゃないか!まずは新旧住民での勉強会と懇親会をはじめようという機運ができていった。

やることは決まったが問題は運営資金だ。すると、住民たちのなかから「売った田んぼのお金で基金をつくろう」という声がでてきた。具体的には、田んぼ一反歩(300坪)分の売却額350万円を基金として集めようということになった。

 

最終的に多くの住民の協力のもと「イシノマキ・カワノカミ大学」として年4回の講座がはじまった。

3.講座

三浦家の母屋をつかってはじまった講座

挫折

会は楽しいと好評ではあった。しかしプロジェクトメンバーは、自分たちが目指したかった、講座での学びをうけて「新しいコミュニティを自分たちでどうつくっていくのか」という議論にまでなかなか発展継続していかないことに、次第に物足りなさを感じはじめた。

 

「ニュータンを視察したときに教えてもらったことに、meeting→understanding→depending→collaboratingという言葉があって。ああそうか、まず出会うことが重要なんだ、年4回ではなく定期的に集える場が必要なんだと思うようになったんです」

それも、既にある地区会館や集会所のようなものではなく、気軽に集まれる自分たちの基地・居場所のようなものが欲しいと思った。そんな想いを、カワノカミ大学の講師として招いた小布施町立図書館まちとしょテラソの花井前館長にぶつけると、「“にぎやかな図書館”を機能としてつけたら」という助言を得た。

「すごくいいなと思いました。地域がこれから学び続けるという視座にもなる」

そして、仮設住宅の前に位置し空き家となっていた、築80年の農協精米所をリノベーションし、コミュニティの拠点とすることも決まった。2013年秋のことであった。

 

時間をかけることが生み出すもの

図書館というヒントを得たものの、果たして自分たちにとって居場所が必要なのか?図書館が必要なのか?ゼロベースで自分たちがなにを欲しているのかを考えようと、まずはワークショップを開催することを決める。

4.WS

新旧住民や県内外の専門家たちを巻き込んで2~30人もの人々と、月2回ペースで約半年間の時間を積み重ねた。そして、コンセプトとして「教育」「居場所」「ライフスタイル」という3つのキーワードが紡ぎ出された。

 

「なによりもこのプロセスでよかったのは、ネガティブなものも含めたそれぞれの想いを共有できたことです」

と三浦さんは振り返る。トータルで10回以上、お互いの想いを聴き合えるというプロセスが、後のこのプロジェクトの大きな土台になった。とはいっても、移転計画は待ったなしの状況下で、悠長にワークショップなんてやっていないで早く拠点をつくりたいという声もあったろう。じっくり時間をかけるということがどうしてできたのだろう?

 

「最初のカワノカミ大学でコケたという感覚がありました。いきなり協働するのではなく、みんなの想いを吐き出す時間がとにかく必要なのではないかという。それによって、特に我々若い世代は、気づかされたものがたくさんあって。先輩たちが地域のために相当がんばってきたんだということを改めて発見したんです。この人たちが言うことは本当だし思いもあるということを感じましたね」

 

「と同時に、年配の人たちは「決めるのはあんたたちだから」とも言ってくれて。彼らの長期的な視点・先見性が大きかったと思います。逸る若者たちに対して、どっしり構え王道をいく年配の人たちという」

 

なぜそう言えたのだろう?

 

「若いときは自分たちが相当改革をしてきたし、任せてもらってきたという経緯もあったようなんです。これは想像でしかないですが、若い世代ががんばるということを待っていたのかもしれません」

 

 

未来志向

震災がきっかけになったのは事実だが、それ以前に、冒頭のプロローグのように「未来のために」という精神や、契約講*に象徴される「共助」の土壌がこの地に生きる人々の根底に流れていることがわかる。次の世代の子どもや孫たちにいい場所を受け継ぎたいという共通の想いを軸に、未来を向くことができる。

想いを共有し、コンセプトやプランが具体化され、いざ行動となると早かった。第二次資金づくりでは建設費用1500万円に対して、多数の住民から1300万円が寄付で集まり、クラウドファンディングで200万円集まった。川の上地区には、大工・左官屋・ペンキ屋・造園屋など職人や自営業の人が多く、地域に住む人たちやボランティアの手も借りながらでできたのもよかった。自らの手をかけることで場への愛着が生まれていった。

5.オープニング2

オープニングセレモニー

 

百俵館のいま

百俵館は10~17時まで図書館・カフェとしてひらいている。昼間は主に近隣の赤ちゃん連れのお母さんたちやご老人たちの憩いの場になっている。

6.店内

それ以外にも、火木土19:00~22:30は寺子屋(受験向けの塾)として、リタイア後の地元住民が先生となり、中高生45名が通っている。

7.寺子屋

下校後、塾がはじまる前から子どもたちは集まりだし、それぞれが思い思いに時間を過ごす

週末も、塾に通っている子どもが塾生以外の友だちを連れて自習という名のもとに集う。友だちに対しての「ここ、いいでしょ?」と言っている姿がなんとも微笑ましく、彼らにとってここが自慢できる場所になっていることがうれしい、という。

他にも、第三日曜日には地元農家さんによる「手作りマーケット」がはじまったり、自主企画や持ち込み企画もふくめて常にイベントが行われている。それらの運営を支えるために、今でも月1のペースで定期的に運営会議を行い、さまざまなブラッシュアップを図っている。

8.高橋さん2

館の顔役:高橋さん。石巻の中心街で酒屋を営んでいたが、被災し川の上に移った(※)

 

これから ~川上と川下がまじわる時

いよいよ来年以降、仮設から復興住宅への移転が本格的にはじまる。海岸沿いの海とともに生きてきた方たちが、森とともに生きてきた方たちのところへと移ってきて、気質も文化も違う人々同士が本当に折り合っていけるのか? 東日本大震災の被災地が、今あちこちで直面している難題に、彼らも立っている。

「過去の歴史や文化背景の違いなので、それを今回のことでどうこうしようなんていう考えはおこがましいよねと仲間たちとは話しています。僕らの世代以降、10年20年かけてようやく関係性ができていくことを目指すというスタンスです」

 

地域の中に「コモンスペース」をつくることで関係づくりに挑もうとしているのが百俵館。そのアプローチの面白さと、強く頼もしいチームをもつ彼らなら、他の被災地からもきっと注目される存在になっていくだろう。

これからの改革に期待していると伝えると、当の三浦さんからは意外な言葉がかえってきた。

 

「現状維持というか、今まで受け継いできたものをまずは維持していきたいですね。これまでは過去踏襲に対して「こんなこと辞めたほうがいいんじゃないか」とネガティブに考えていた部分もあったし、正直なところ義務感でしかなかった。今は180度変わった。今までやってきたことを無理して変えることを目的にするのではなく、続いてきたことには意味があって、維持することももしかしたら大事なんじゃないかと思うようになりましたね」

 

無理して変えることを「目的」にするのではなく、続いてきたことには「意味」がある。

例えば、今回の震災において、顔のみえる関係性としてすでにあった契約講が、非常に機能したことはあちこちで報告されている。顔のみえるということが監視されているという窮屈さではなく、見守りあっているという地域性として捉えなおそうというように。

 

慣習そのものは変わらなくても、考え方がシフトしていくような地続きの変革スタイルが、川の上らしさ。過去と未来をつなげた「百俵館」は今日もこの地で佇む。

【了】

(文責:山下ゆかり)

 

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*契約講…共有林・田の水路などの管理や冠婚葬祭のための組織。江戸時代とかから続くもの。30世帯くらいごとの単位。家長が必ずでなければならないもの(75~28歳)。講の三か月に一回の定例会議「契約」はフォーマルな場で、昔は紋付き袴・今はネクタイで行くもの。会費やプール金のお金の流れもある。
※写真:kazuma yada

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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