JR中央線国分寺駅の南。
小さな果樹園や畑が集まる一帯に、山賊のアジトを思わせる不思議な場所がある。
その名も、冒険遊び場「国分寺市プレイステーション」(以下、プレイステーション)。
「○時に、プレステ集合!」は、この地域の子どもたちの合い言葉。
集合した子どもたちは、青空の下、様々な遊びを繰り広げていく。
工具を使った工作に、焚き火、木登り、畑づくりなど、遊びの種類もさまざま。
数名いる大人たちは一緒になって遊んだり、
近からず遠からずな距離で見守っている。
ここでは、とにかく子どもたちが主役。
地域の子どもたちから愛されているのはもちろん、
親御さんからも大きな支持を得ているこの自由で豊かな遊び場は、
どのようなことを大切にして運営されているのか。
市からの管理委託を受けているNPO法人冒険遊び場の会の代表を
務める武藤さんにお話を伺った。
「外遊び」で生きる力を養う
「家の中では周りに乱暴をふるってしまう子も、外に連れて行くと乱暴なんてしなくなる。周囲の自然に興味が向いて、もうそれどころではなくなるんですね。」
児童館の職員経験もある武藤さんの実感のこもったお言葉だ。
プレイステーションで大切にしているのは「外遊び」の豊かさ。
遊びの場を家の中から外へと移すことで、遊びは無限の可能性を持つのだという。
開放的な外の世界では、自然が子どもたちの感性に次から次へと語りかけてくる。
四季折々、夏は暑く、冬は寒い。天気も日々刻々と変わる。
太陽が眩しい日もあれば、雨降りの日もある。
虫や動物、植物たちは、彼らの社会をつくって生きている。
そんな自然の営みに様々な刺激を受けながら、
子どもたちが「やりたい」と感じた遊びを、子どもたちの意思で展開していく。
木に登りたい子に、火遊びをしたい子、
工作をしたい子、みんなで鬼ごっこをしたい子。
否、遊ばずに、ただゆっくり座っていたい子だっているかもしれない。
それぞれが無意識にせよ、主体性を発揮して、
どうしたいのかを考えていける場なのだ。
一般の公園では、ボール遊びをしてはいけない、火遊びをしてはいけないなど、
「してはいけないこと」が書かれていることも多いが、ここでは違う。
「ここでは、決まった答えはないんです。予め決められた何かをやらされるのではなくて、自分は何をやりたいのかを考えて、とにかくやってみる。できなかったら試行錯誤してみる。生きる力ってそうやって養われていくのではないでしょうか」と武藤さん。
予め用意された答えもなければ、進むべき道筋もない。
やりたいことを考えて、どうやればいいか考えて、
できるかどうかチャレンジしてみる。
そうやって出てきた答えは自分だけのもの。そうやって答えを体得していく。
まさに、ここでの「遊び」は子どもたちにとって「冒険」 なのである。
プレイリーダーがいる遊び場
そうはいっても「何をしてもいいよ」と言われると
逆に何をしてよいのか分からなくて立ち往生してしまう子もいる。
あるいは、やりたいことは見つかったけれど、やり方がまだ分からないという子も。
そんなとき、子どもたちをサポートするのが
「プレイリーダー」と呼ばれるスタッフたち。
「一緒に考え、一緒に遊ぶ、子どもたちの見守り役」というプレイリーダーは、
先生というよりも仲間であり先輩のように相談にのってくれる存在だ。
「ユウジ」「ムラちゃん」「カネゴン」「ドリ」などのあだ名からも、子どもたちとの対等な関係が伺える。
どう遊んでよいか分からない子の相談にのったり、
火遊びやのこぎり等の危険な工作道具の使い方を教えてくれたりと
子どもたちの「やりたい遊び」をサポートしてくれる。
ときには、壁となって子どもたちの前に立ちはだかることもある。
あえて手を差し伸べないことで、子どもたちの自発性の芽を
摘み取らないようにするのだ。
「ここでは、親御さんにも子どもたちに干渉しないことを勧めているんです。目が行き届きすぎると、子どもたちの自由な発想力や前に進む力は自然と弱くなってしまいますからね」と武藤さん。
自由というのはある意味では恐いことだ。
進むべき目的地がきちんと指し示され、誰かが敷いた正解のレールの上を進む方が
よっぽど安心と思う感覚もあるだろう。
しかし、この世の中に一つとして正しい答えなどあるだろうか。
自分が正しいと思っている答えが、誰かにとって間違いであることもある。
季節が移ろい、時代が変わるように、答えもやはり刻々と変化していく。
だからプレイリーダーはいつも子どもたちに呼びかける。
「どうすればいいか、みんなで一緒に考えてみようじゃないか」と。
そんなプレイリーダー自身も個性ある人間。
自分たちがどんな場面でどんな存在であるべきか、
それぞれが常に試行錯誤しながら
いろんなお面を付けかえて子どもたちと遊んでいる。
地域のみんなでつくる「プレイステーションまつり」
プレイステーションでは、年に1回、
「プレイステーションまつり」(通称:プレステまつり)というお祭を開催する。
子どもたちは、自分たちのやりたいお祭のテーマを持ち寄り、
みんなで一緒に話し合う。
「去年のテーマは『忍者』だったので分かりやすかったのですが、今年は『いろんな時代』。縄文時代あり、江戸時代あり、インディアン村あり、未来のくにありと、うまくまとまるかどうか。でも、これも子どもたちがみんなで考えた結果。どう転ぶか分からないのが遊びの醍醐味でもありますからね」と武藤さんも少し苦笑い。
テーマが決まれば、作るお店も決まってくる。
昭和の古い病院を模したお化け屋敷、インディアンのタコス、竪穴式住居で土器づくり、鳥の石焼などなど、アイデアはユニーク。プレイリーダーや地域の親御さんたちもお店づくりに参加し、店番にも協力する。
こうして、子どもたちの、子どもたちによる、地域のためのお祭はできあがる。
ちなみに、お店で使えるのは現金のみ。地域通貨ではないのはどうしてなのか。
「たかが遊びといっても、きちんと現実感を持たせたいと思っているんです。地域通貨だと、お祭が終わってしまえば大切にされないということが起こりますが、お金であれば現実社会とつながっています。子どもたちにも、お金というものの価値をきちんと考えてほしいなと思っています」
ちなみに、プレステ祭にはハローワークも存在する。
「遊びたい子もいれば、お店側にまわりたい子もいるので」とシンプルな理由。
親からもらったお金で遊ぶのも面白いが、自分で稼いだお金で遊ぶのもまた格別だろう。
他の地域にも、自然豊かな冒険遊び場を
子どもたちの口コミが広まって、今やプレイステーションには
隣町からも子どもたちが遊びにくるほど、人気がある。
元気に遊ぶ子どもたち、常駐のプレイリーダーなど、いつも誰かの姿がある。
しかしながら、国分寺周辺の一般の公園を15年以上調査してきた武藤さん曰く、
公園では遊んでいる子どもたちの姿をあまり見かけないのだそう。
「公園には人がいないから、人が集まらないという悪循環が起こっているんです。人がいる場所には人が集まり、人が集まれば、楽しいことが起こります。それならばとプレイキッズという活動をこれまで行ってきました」
プレイキッズというのは、プレイステーションの外遊びのエッセンスを
地域の公園にお裾分けする活動。
毎週水曜日、プレイリーダーが遊び道具を持って公園に出向いていく。
プレステと同様、10年以上続けてきた。
一方で、課題も多いという。
公園には規制が多く、持っていく道具にも限界がある。
プレイキッズがない曜日には、やっぱり人のいない公園がほとんどなのだ。
10年以上経ても、その状況はなかなか変わらないと武藤さんは語る。
そんな武藤さんの20年来の野望は、
プレイステーションを他地域に広げていくこと。
「子どもたちを見ていると、ここが遊び場として本当に豊かだと感じることがたくさんあります。それぞれの地域社会を考えたとき、隣町の子がはるばるここまで来るよりも、自分の近所のプレイステーションに気軽に行けた方がいいですしね」
そんな野望が今、市民の方々の手によって現実に動き出そうとしている。
国分寺駅の北側の住民の方々が、
「2つめのプレイステーションをつくる会」を立ち上げたのだ。
「私も国分寺駅の北側の住民です。住民の一人としても切に願ってきたことですので、応援したい」
武藤さんの目に力がこもる。
無論、土地はどうするのか、人はどうするのか、運営はどうするのかなどなど
考えるべき課題はたくさんあるが、それも望むところ。
子どもたちの良き先輩として無理難題にも諦めることなく
果敢にチャレンジする大人たちの活動を私も陰ながら応援していきたい。【了】
文責:古橋 範朗