ランニングから生まれる新しい街づくりの息吹 ~TAMA RUNNERS

 一人でも気軽に始められるアクティビティとして人気のランニングだが、いまや空前のブームであるのを、あなたは知っているだろうか。日本最大級の市民レース「東京マラソン」の抽選倍率が10倍(3.5万人の枠に対して30万人以上のエントリー!)を超えたというニュースも耳新しい。ブームの背景には、このようなエンターテインメント型ランイベントの存在があるのだが、ここに「多摩地区で2万人のフルマラソンイベントを」と掲げた男がいる。馬場保孝(ばば・やすたか)さん27歳だ。現在、一般社団法人『TAMA RUNNERS』の代表を務めている。設立からたった1年半、「多摩にフルマラソンを」という夢は3,500人から支持を集めるまでに成長した(Facebookページフォロワー数)。主催したイベントの延べ参加者数は2,000人を越え、その波は大会を追うたびに大きくなっている。なぜここまで急成長できたのか。馬場さんは「大きいことをやろうとすると、ひとりじゃできないから」と言う。”仲間”を巻き込んでいくことが、オーガナイザーとしての馬場さんの戦い方だった。

スタート

聖蹟リレーマラソン

多摩地区で2万人のフルマラソンを

何かが始まるきっかけは、紐解いてみると”必然”ではなく”偶然”に思えることがある。TAMA RUNNERS の誕生も、まさに偶然だった。

2012年10月、馬場さんは、友人の高梨さんと久しぶりの再会を果たした。直前に東京マラソンの抽選に外れていたことから話題はマラソンに。「東京マラソンって言っても東京の西側にはこないよね」「この道路が人でいっぱいになったら楽しいね」「じゃあ、やっちゃいますか!」これが、すべてのきっかけである。多摩地区で2万人のフルマラソンをという夢は、このときひらめいた。イベントなんて企画したこともない。ましてや公道に2万人を走らせるロードレースなんて…できるかどうかわからない、だからこそオモシロイ。

「目標は大きくないといけない。大きければ応援してくれる人も多くなる。それから最初に旗を立てた人がブレないこと」馬場さんの信念だ。

 馬場さん

仕事の帰りに作戦会議は深夜まで及ぶことも(馬場さんと高梨さん)

思い立った翌日には、Facebookページを立ち上げ、プロジェクトは動き出した。人海戦術で2週間足らずで「いいね」と賛同してくれる人を300人集め、まず後に引けない状況を自ら作り出した。次に、50人規模の小さなランイベントを企画。開催前のお知らせ・開催後の写真や記事のレポートなど、フォロワーに対する継続的な情報発信で、次第にコミュニティに熱がこもりだす。参加者3人という時期も乗り越え開催実績を積み重ね、構想から半年、いよいよ次のステージに乗り出す。

イベント成功の裏で、孤軍奮闘の限界も

スポンサーを擁してはじめて挑戦する500人規模の第1回聖蹟桜ヶ丘リレーマラソン。多摩川土手のランニングロードなど、ランニング愛好家たちにとっての人気スポットがある「聖蹟桜ヶ丘」を舞台に定めた。開催概要も決まり、スポンサー企業回りや行政との調整に奔走していたその頃、コーヒー豆店tak beansを営む松崎さんと出会う。彼もまた、地域のコミュニティづくりや新しいライフスタイルに貢献したいという想いのある若き挑戦者。すぐに意気投合した。それからは毎日お店に顔を出すようになり、活動の拠点となった。告知用のポスターが必要となったとき「松崎さん、つくれます?」と無茶ぶりされたエピソードを「頼み方がうまかったんですかね(笑)」と楽しそうに振り返る松崎さんだが、馬場さんに言わせれば「得意そうなことを見つけて、つっついてみる」ことなのだ。

こんな風に手作りで、それぞれの得意技をもちよって、一から創りあげたランイベントは、第1回リレーマラソンその半年後には聖蹟サンタマラソンと、立て続けに成功をおさめた。すべては順風満帆に見えたが、馬場さんの心のなかにはあるひっかかりが生じはじめていた。

 サンタ

800人のサンタクロースが走る姿は壮観!

TAMA RUNNERSは社団法人といっても自分以外のコアメンバーは数名しかおらず、活動は各人が仕事や家庭と両立しながらのボランティアで成り立っている。大会当日の運営には50人を超えるスタッフが手伝ってくれたが、大会に至るおよそ半年間の準備を、これまでのようにひとりで一手に引き受けていてはこれ以上の規模のイベントを運営するには限界が見えていた。日々の実務に追われ、自分がやっていることをシェアする時間がとれない。

「それにより情報の格差が生まれて、それが気持ちの格差になっていた」

孤軍奮闘するそのスタイルが、よりまわりを遠ざけていたと気付いた。転換点だった。

頼ったほうがいいものができる

それからは、仲間の好意に「期待する」のではなく、何かをしてもらったときに「感謝する」心を大事にしていった。「これやって」と言わなくなり、「任せるよ」と言うようになった。自分から関わり方を変えると、メンバーの動きにも変化が生じた。その象徴的なエピソードとして聞かせてくれたのは、大会を目前に控えたボランティアスタッフ向けの説明会で、「普通のプレゼンじゃ伝わらないから」と突然ピエロの格好で踊りながらのプレゼンテーションを披露した、スタッフリーダーの相川さんのこと。

 相川さん

スパイダーマンに扮装し会を盛り上げた相川さん

実は、TAMA RUNNERSの主催するランイベントの人気を支えているのが運営スタッフのおもてなし力・盛り上げ力の素晴らしさ。会場入り口ではたくさんのスタッフが笑顔とハイタッチで出迎えてくれ、沿道のコースには10mおきにスタッフが並び、ここでもハイタッチでランナーを応援してくれる。馬場さんは、相川さんの日頃の人を楽しませようとする姿勢に目をつけ、この盛り上げ部隊のリーダーに任命。一方、任命された相川さんは、自分一人が楽しんでいただけではだめで、スタッフ自体をまず盛り上げるには一体何をしたらいいのか…と考え込んだという。その結果のピエロという訳だ。自分の知らないところで起こったスタッフの小さな変化に馬場さんは「ここ一年でいちばん嬉しかった」と顔をほころばせる。自発性を尊重し頼ることで、結果的にクオリティもあがっていった。

地元の人が参加してこそ意味がある

そして迎えた第2回聖蹟桜ヶ丘リレーマラソン。見事1,000人を集客し、また一歩夢に近づいた。

 1000

しかも今回はそれだけではない。多摩エリアを盛り上げたいと志を同じくする仲間が、「多摩クラフトビールフェア」の同時開催を申し出てきれくれた。ビアフェスとリレーマラソンの相乗効果で、当日、会場には本当に大勢の人々が集った。

 ビアフェス

集客の仕方にも馬場さんはこだわる。数だけ集めることを考えると、イベントサイトなどに告知すれば県外からもある程度人は集まる。しかし、

「地域の企業がスポンサーとして応援してくれていて、そのご好意に恩返しするためにも、地域から集客しないといけないと思っている」

事実、ビアフェス+リレーマラソンに足を運んだ人からの「聖蹟でもこんなにおもしろいことができるんだね。もっと地元が好きになった」「来年も楽しみにしているよ」「次はお客さんじゃなくて、関わる側で参加して、自分も街を盛り上げる一員になりたい」といった声が寄せられた。

「地域の人が集まるから、その地域の魅力が増す」という馬場さんの言葉が、確かな熱をもって響いてきた。

 メンバー

夢は続く

次なるステージ、2014年12月の聖蹟サンタマラソンを楽しみにしていてほしい。走る人も走らない人も、この街をおもしろくするのは自分だと言う顔でサンタの衣装に身をまとい、街を闊歩していることだろう。

(文責:大畑純一/山下ゆかり)

編集後記 ~runがfunに、やがて街のfanに~

 

ランニングをはじめたばかりで”走ることは孤独な修行”だった私に、tak beansの松崎さんがTAMA RNNNERSを紹介してくれた。週一5:30からの「朝ラン」に、誘われるままに参加するうちに、顔なじみは増え、おしゃべりランをいつしか楽しめるようになった。同時に、あそこのお店には○○さんがいるとか、○○さんはあのマンションの二階という具合に、これまで素通りしていただけの街の通りに彩りや温度を感じはじめた。この街に移り住んで五年。ご近所づきあいはあるけれど、この街の一市民としての自分にはまだまだ心許なさを感じていた頃だ。

自分のなかの変化を実感したのは、東京に大雪が降ったあの日。TAMA RNNNERSのメンバーは、日頃お世話になっている街が困っているこんな時こそ自分たちが行動を起こさねばと、吹雪のなか一日中、駅までの道を雪かきしてまわった。その様子を伝え聞き、心を動かされ、自分も自然と体が動いた。(彼らのようにタフではないので、筋肉痛のため、その後しばらく大変な目にあったのだけど)
駅までの道を歩くときには顔をあげ、誰かとすれ違うのを楽しみにしていたり、街を良くするために自然と頭や手足が動いてしまう自分に、いつの間にかなっていた。でも、やったことはただ走り続けていただけ。ランイベントが街に与える影響は、きっと一人ひとりの身に起こるこんなささいなことの積み重ねでできてゆくのかもしれない。

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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