開いて閉じる「呼吸するお寺」~應典院

 

大阪はミナミにある、檀家はもたず、葬式をしないお寺、應典院

 

一見寺院には思えないコンクリート打ちっぱなしのドーム型の建物に、演劇や現代アートに取り組む若者たちが集う。その数は年間で約3万人。今では日本でいちばん若者が集まる寺と呼ばれているという。

 

 

1997年の再建にあたって、一般的な仏事ではなく、かつてお寺がもっていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、「学び、癒し、楽しみ」をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わった。

 

音響・照明施設を備えたホール仕様の本堂をはじめ、セミナールームやギャラリーを備えており、演劇活動や講演会など様々活動に用いられている

 

宗教法人としてお寺は場所を開放し、運営はNPOである應典院寺町倶楽部が当たるという協働スタイルをとる。宗派に関係なく、誰にでも開かれているが、商業目的のいわゆる貸しホールとは異なる。市民参加型寺院として異色の存在感を放つ應典院の代表で、大蓮寺1住職の秋田光彦さんにお話を聞いた。

 

 

「私」でも「公」でもない第三の場として

 

「縁側のような中間的な場所というんでしょうか。都市に、現代人の生き方そのものの中に、そういう場がなくなってきている。思いっきり内向きなステークホルーダー向けの利害集団と、市場を中心にした世俗的なものと二極分化する中で、中間的な場所が痩せてきていると感じています。これからは「私」でも「公」でもない、真ん中にある広場のような場所で、私たちは第三の縁を養っていくのだと思う」

 

さかのぼると、着想はタイやミャンマーでの開発僧2との出会いにあった。NPOと一緒になって地域開発の先頭にたっているその姿をみて、強く影響されたという。30代前半、日本仏教に希望を見いだせず試行錯誤していた頃、僧侶の枠を飛び越えNGO活動に参加し、既にさまざまなネットワークをもっていた秋田さん。当初は、そんな人々が集うことができる生涯学習センターというイメージで、さまざまなプログラムをこちらから提供して市民のみなさんに学んでいただこうという計画だった。しかし実際は、思っていた以上に多くの「担い手」たちが登場した。NPO活動が活発化した90年代、時代の波に呼応するように、應典院のありようは今の形に行き着いたのだ。

 

一般に開放されたホール前のフリースペース『気づきのひろば』。人々の交流の場となっている

 

 

知恵のある民の力

 

市民活動の時代に立ちあってきた秋田さんは、そこに何を見たのだろう。

 

「私たちは、教育や医療・福祉・芸術文化といった公益サービスは官から提供されるものだと思い込んでいます。いつの間にか『消費者』になってしまっている。しかし、何かしてもらおうという立場では、本来の自立的な生き方は難しい。一緒に問題意識や課題を抱えながら、面倒ながらも立ち向かっていこうとする、その中での自分自身の成長や異なるものとの出会いが楽しいと言えるような、それこそが市民感覚ではないか。これからは、消費者とは違う、次なる概念のなかに働く市民が出てくると思っています」

 

血縁や地縁といった逃れられない縁による束縛とは別の、第三の縁を創り出していくために何があればいいのか。おそらく、ものごとの考え方や価値観・ミッションを一致させる人たちの集まり、それがこの無縁社会といわれる時代に求められることではないか、と秋田さんは考える。「志縁」「テーマ・コミュニティ」という言い方もできる。

 

 

■テーマ・コミュニティ事例:エンディングサポートの実践

 

コレクティブ墓ともいえるユニークな取り組みがある。生前の個人がひとつの墓に一人ではいる生前個人墓『自然(じねん)』だ。かつて墓の多くは家単位だった。だが、単身世帯が最も多い家族類型になった今、先祖代々墓でお参りする人のいない「無縁墓」が増えているという。そういった無縁墓を一か所に集めた、いわゆる永代供養のお墓はほかにもある。しかし『自然』のコンセプトは違う。生前に自分の意思で契約して会員となり、会員同士という縁で新たにコミュニティをつくっていくということにこだわった。

 

「自然の会員は100人を超えますが、お盆やお彼岸の合同供養、エンディングセミナー、時にはバスツアーと称しておいしいものを食べにいったり。住職がファシリテーターとなり、初めは赤の他人だった間柄によりをつくっていく。次第に、この100人が各々に互いを供養しあう家族に変わっていく。こうして一緒に死にゆくもの同士関わり合う、一種のセルフヘルプです」

 

「みなさん言いますね、『ここに決めて安心した』と。死後を考えることで安心して生きていけるんです」

 

さらに興味深いことに、自然会員はお寺を介在させながら、ホスピス・高齢者住宅・介護・仏事・葬送等人生の完成期支援に関わるNPOと協働したエンディングサポートシステムをつくりだしている。100人の会員だけで閉じることなく、どのように関係性をひらいていくかについても同時に考えている。

 

運営の財源となっているのが「自然」の申込金。昨年は、エンディング文化の創造に寄与するNPO・個人に贈る「自然賞」を創設した。お寺がNPOに対し独自に資金援助を行う画期的な仕組みとして注目を集めている。

 

 

「呼吸するお寺」 應典院

 

それにしても、この場はなぜこんなにも開かれているのだろう。コミュニティをつくろうと意識すればするほど閉じていってしまうというジレンマを抱える例も少なくないのに。

 

開いてばっかりではだめですね。閉じるという知恵もある。應典院のキャッチコピーの『呼吸する』の意味するところは、開いて閉じるという往復運動です」

 

開いていくことで硬直化していくことってある。(例えば、上場を目指した企業が市場へ開いていくがゆえに肝心の自分たちの軸足を失うというような)開いているということが担保されるがゆえに閉じられるともいえる。閉じるということは断絶的ということでは決してない。時に応じて堂々と閉じられる。両方が大事なのだ。

 

「あとは、『お寺だから』というのは大きいのではないでしょうか。どれだけもめていても『まあ、仏さんがおっしゃっていることやしなあ』と住職が言うと、場がすっとまとまったりするんです」少年のように悪戯な笑顔を浮かべて、秋田さんは付け加えた。

 

 

共助しあう社会へ

 

数々の先駆的な取り組みを成してきた應典院だが、これからの展望について聞いた。

 

「人間の弱さ<生・老・病・死>に着目したまちづくりをやりたいと思っています。具体的には在宅ホスピスの支援拠点です。グローバリズムのシステムのなかでは力のあるものが弱いものを飲み込んでいくわけです。ある一定の競争原理はいたしかたがない。そういう中で、弱き人たちというのは保障の対象になり下がってしまいがちです。しかし、弱さはたしかに『微力』かもしれないが『非力』ではないと思っている。弱さには弱さの力がある。末期者に力があるわけではない、その家族にも不安や苦しみはあっても希望や可能性があるわけでもないが…。その弱さに敬意を払いながら、その弱さから新しい社会を切り開いていく知恵を生み出そうとしている芽が、あちらこちらにある」

 

「私たちは、大きな力によって生かされているということを想像できる・畏怖する感性が必要なんじゃないかな。自我が暴走してなんとでもできるという全能感をもってしまったのが人間だとしたら、仏さんは『なんともならないよ』と言っている。だからこそ、他者と力を合わせなくてはならない。諦め、受け入れ、そこから出発するのが『共助』の原理。こんな風に、仏教はいい意味で自分のもっている視点をはずしてくれる。問い返してくれる。だから仏教はすばらしいと思います。仏教の信仰とまでは言わない。知恵を生活のなかに埋め込むことで日本人の生き方や暮らしを変えていきたいというのが、僕の想いの根底にあります」

 

文責:山下ゆかり

 

1大蓮寺 應典院の本寺である浄土宗別格寺院(應典院は大蓮寺の創建450年記念事業として再建された塔頭にあたる)。足利家の大坂祈願所として創建、秋田さんは02年に29代住職に就任。境内には直営のパドマ幼稚園がある。
2開発僧 農村の自立支援や環境保護など地域開発に取り組む仏教者の一派。

 

 

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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