人と人、人と自然がつながる古民家コミュニティ ~やぼろじ

 

「やぼろじ」という場所

 

東京の西、国立市の谷保というところに、「やぼろじ」という、面白い場所があると聞いた。もとは古民家だったところを改装して、地域にも開かれた、有機的なつながりの場として利用されているらしい。 2011年5月、私は「やぼろじガーデンパーティー」を目的に、初めてやぼろじを訪れた。

 

甲州街道沿いのこの辺りは、蔵のある邸が今でも何軒かあったりと、昔ながらの佇まいをわずかに残している。やぼろじは、320坪の敷地に、広い日本庭園と、カフェのある母屋、イングリッシュガーデンの裏庭、蔵、工房、そしてオフィスを備える、複合的なコミュニティだ。広い前庭の大きな木々は、この家の歴史を物語り、色とりどりの花々を見れば、大切に手入れをされている様子がうかがえる。

 

ガーデンパーティーの様子

 

裏庭にはイングリッシュガーデンが広がる

 

ガーデンパーティーのその日、普段「やま森カフェ」が営業している縁側のある広間には、ピアノと歌の演奏を披露するミュージシャンとそれに聴き入る人々。庭には、池のなかの魚を覗き込む子ども、思い思いに談笑したり、食事を楽しんだり、ぼーっとくつろぐさまざまな世代の人たち。ふらっと遊びにきたという近所の方もいて、あったかくて懐かしい、それでいて新しい空気感も感じる、そんな魅力的な場所だった。こんなところが自分の家のすぐ近くにあったらいいなー、いっそこの近くに引っ越して来たいとさえ思った。
実は、つい少し前まで、ここは草が生い茂る空き家だったという。

 

「やぼろじ」とは、どのように生まれた、どのような場所なのか。3人のキーパーソンであるWAKUWORKS代表の和久倫也さん、野の暮らし代表のすがいまゆみさん、やま森カフェ店長の大久保奈々さんにお話をお伺いした。

 

和久倫也さん

すがいまゆみさん

大久保奈々さん

井戸を改装した、屋台のような風貌

 

 

「古民家に一目惚れ」

 

それは、すがいさんの一目惚れから始まった。

 

日野から国立に引っ越してきたすがいさんが、この古民家に出会ったのは、2008年の末。たまたま通りがかって、塀の外から中を覗き込んでの感想は、「なんて素敵な場所が、放りっぱなしにされているんだろう!」

 

もともと、「野の暮らし」というユニットを通して、さまざまな生きづらさを感じる子どもたちのために居場所をつくる活動をしていたすがいさんは、活動の拠点となる場所を探していた。「とっても素敵な場所がある」「もしみんなで使えるようになったら、とても素敵」と、その後ことあるごとに人に話していた。「そんな、自分のものでもないのに、夢見たいなこと言って馬鹿じゃない?」と周囲はクールな反応。ここの家を管理する不動産屋さんに相談に行ったときも、一笑に付された。その後交渉を続けるも何も動かない日々。

 

およそ半年後の夏のある日、偶然、横浜に住んでいる大家さんが、この家の庭で草刈りをしているのを見つけた。その場で「貸してほしい」とお願いした。大家さんは優しく「中を見る?」と案内してくれた。美しいデザインの欄間、部屋のあちこちに見られるこだわりの建具、かなり広い縁側。もともと歯医者さんだったこの場所には、趣のある待合室と診察室もあった。「ものすごく素敵だった」という。すがいさんは、塀の外からの佇まいだけで、それを直感していたわけだ。

 

大家さんは、家は貸せないけど、畑ならということで、この家から200mほど先に行った路地にある場所を貸してくれた。すがいさんは当時、草が生い茂る荒れ地だったその場所の開墾に、「野の暮らし」のこどもたちや近所の人たちとともに挑んでいく。畑を「居場所」とすることにしたのだ。

 

素敵な佇まいのお蔵

 

「谷保の家再生プロジェクト」前夜

 

そのころ、「自分の居場所」を探していた、というのはもう一人のキーパーソンであるWAKUWORKSの和久さん。彼は、人も自然もひとつながりである、という想いのもと、皆が心地よく感じる、わくわくできる場所づくりをめざす一級建築士だ。土や木を身近に感じられる暮らし、緑が見えたり、鳥の声が聞こえてくる空間を、仕事を通じて皆に提案する一方、自分自身もそのような働き方と暮らし方の場を求めていた。

 

その頃、仕事のつながりで、すがいさんと親しくしていた和久さんは、すがいさんの畑の一角を間借りしていた。すがいさんと同様、この家やこの地域に魅せられていた和久さんは、まちづくりなどの研究をしている首都大学東京の饗庭伸研究室(饗庭研)とともに、この地域の空き家を再生する構想に思いを巡らせていく。

 

すがいさんたちが開墾を始めて半年経った2010年春、半年間の成果をお披露目するオープンデーを開催。半年の間に、すっかり様変わりし蘇ったその土地を見て、大家さんはとても喜んでくれた。和久さんらは、その場で空き家再生プロジェクトを大家さんに提案。「場所が魅力的なので、この家の活用の仕方を何か提案させてください。草はぼーぼーだし、剪定も必要ですし」と力説。大家さんは、首を縦にふった。2010年5月、こうして、後にやぼろじとなるこの家の「谷保の家再生プロジェクト」が、始動した。

 

蘇った畑

 

 

「谷保の家再生プロジェクト」

 

まずは、庭の草刈り、掃除、蔵の荷物出しなどの作業を、ワークショップ形式で行った。野の暮らしのこどもたちや、饗庭研の学生など、多くの人たちが参加し、大家さんも毎回欠かさず来てくれた。饗庭研の得意な手法である、ここの場所の「いいところ探し」をしつつ、BBQをしたり、合宿をしたり、皆でかかわりながら、楽しんで作業を進めていった。

 

一方で、和久さんは、この家を借りる具体的な契約の話を大家さんと進めていった。雨漏りや配管の修理など、住まうためにこの家を整える費用がかかる。和久さんは、自身の事務所をここに構えるとともに、このプロジェクトの責任者として、まとまった額の初期投資を引き受け、入居するほかの会社から家賃をいただく形をとることにした。皆で、この場所で生活や仕事をすることに大きな可能性を感じたから、また、一緒に実現してくれる強力な仲間がいたからこそ、思い切った決断に踏み切ることができた、という。

 

母屋や庭の手入れ、改修工事を経て、この場所は蘇った。敷地を囲っていた塀も取り去り、路地に開かれた場所ということで、「やぼろじ」と命名。カフェ、工房、ガーデン、オフィスを持つ、複合的なコミュニティとして、2011年5月、ついにオープンした。

 

やぼろじの看板

 

 

「同じ釜の飯を食う」

 

世代も立場もちがうさまざまな人がかかわるやぼろじのありよう。これまで苦労はなかったのだろうか。

 

「お互いが目指すものの調整は大変だった。メンバーが考えていた方向性は似ていたけど、重ならない部分もあった。たとえば、合成洗剤を使うかどうかというささいなことから」と和久さんは話す。「この場所を維持していくのは大変だから、事業性にもシビアにならないといけない。シェアハウスもやったけど大変だった。住む人のプライバシーと、みんなの場所として開いていく、という2つのバランスが崩れて、そのうち折り合わなくなった。カフェの運営も一度休業し、仕切り直してこの春再稼働したばかり」

 

どうやってかかわる人の利害や思いを調整していったのだろうか?

 

「みんなで、『同じ釜の飯を食う』ことが大切。口には出さなくても、ちょっとした不満、気になっていることがみんなある。顔を合わせないとふとした時に爆発してしまう。生活、人間関係全般に言えると思うんだけど。相談したいことがあるんだけど、と言って切り出すより、一緒にごはんを食べながらぽろぽろ出てくるのがいい」。すがいさんも「一緒につくって一緒に食べることが、教訓的なことをいうよりも効果的。特に、丁寧につくられたものを食べること」と話す。

 

やま森カフェのごはん

 

 

やぼろじの要、やま森カフェ

 

カフェから望む前庭の様子

 

 

食事を通してのコミュニケーションが何よりも大切と考えていたメンバーたち。外に開かれた場所とするためにも、この場所にカフェを開くことは念願だった。前のカフェが2011年8月にクローズし、カフェのない状態がしばらく続いたが、2012年4月、待望の新しいカフェがオープンした。現在、やぼろじの中心的な存在ともいえる「やま森カフェ」である。こちらを運営するのは、「母めし」をコンセプトに、社員食堂のコンサルタント事業を手がける株式会社やまもり。やまもりの本社もやぼろじに入居している。

 

店長の大久保奈々さんは、「やまもりの提供するごはんは、伝統的な和食が基本。心と体がほっとする、エールを送るという行為に近いもの。地産地消って当たり前だし、素材は旬のもの、露地ものが基本。この場所で、お客さんがゆっくりできて、幸せな気分になってもらえれば」と話す。そして、素朴で懐かしいお母さんの味を提供するのは、地元のお母さんたち、というのがやまもりの考え方。「『ごはんをつくることにかけてはプロのお母さんたちが、そこに働きにきてる人たちにごはんをつくるって、なんてシンプルで普通のことなんだろう』というのが私たちの出発点。それは、お母さんたちの活躍の場を創出することでもある。やま森カフェでも、地域のお母さんたちに元気に働いてもらっている」と話す。

 

やま森カフェのメニュー

 

 

「やま森カフェ」では、お客さんが、「おじゃまします」と入ってきて、「おじゃましました」と言って帰っていく。普通は、「トイレどこですか?」が、「トイレ貸してください」。「ただいま」「おかえり」も自然に出てくる。なんだか、お店にきた、というよりも、おばあちゃんの家に遊びにきたような、ゆったりとした優しい気持ちになる。

 

「それは、ここにいる人たちの人と人の感覚、そしてこの家が持つ気の力、なのでは」とすがいさんは話す。ここの母屋が建てられたのは約50年前。その際に、建てかえ前の昭和初期に建てられた家の建具を生かして建築したという。昭和の息づかいが感じられる、建てた人の想いが今も生きる場所だ。

 

古くて美しい建具があちこちに見られる

 

 

「色んな人の可能性を実現できる場所」

 

やぼろじが、その誕生の前からそうであったように、現在のやぼろじも「たくさんの人のボランタリーな行為によって成立している」と和久さんは話す。前庭は、すがいさんや地域の人による、週に一度のガーデンワークにより、美しく保たれているし、高木の剪定は、やま森カフェのごはんと引き換えに、近所の人が引き受けてくれている。暫定的にここに住みながら、裏庭を素敵なイングリッシュガーデンに変えてくれたイギリス人の造園家もいる。「僕たちも、格安で美味しいやま森のまかないごはんをいただいている。持ちつ持たれつ」と和久さんは言う。

 

カフェスペースやガーデンでイベントをやりたい、このやぼろじと同じようなことをやりたい、など、かかわる人もどんどん増えつつある。和久さんやすがいさんが、最初にここに見た夢は、「色んな人の可能性を実現できる場所」。「これまでのやぼろじがそうであったように、これからも、色んな人たちの色んな想いを、色んな力が実現していく場として、やぼろじがあり続けられれば」、とすがいさんはいう。和久さんも、「自分はこの場所の責任者ではあるけれど、僕自身の存在はどんどんフェードアウトしていっていい。かかわる人たちの力で、この場所がいつもいきいきして、みんながやりたいことをやれる場であれば」と想いを語った。

 

やぼろじは、今後、かかわる人の可能性をさらにどのように広げ、どのような有機的なつながりを生んでいくのか。時々訪れて、その広がりを見守ってゆきたい。(文責:城野千里)

 

ガーデンパーティーでのコンサートの様子。やぼろじは、ここで何かをやりたい、という人たちの想いを実現する場となっている。

 

 

城野 千里

城野 千里

コレクティブハウス居住によるシェアする暮らし経験5年。 現在は、東京杉並区に在住し、持ちよるまち暮らしについて体験&考察中。 関心事は、社会、環境、文化、アート、料理、食べることなどなど。

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