温故知新の街づくり~米軍ハウスの街並「ジョンソンタウン」

国道沿いのけやき並木を抜けると突然現れるアメリカンな街並み。まるで映画のセットかと見紛うここは通称「ジョンソンタウン」。約25,000m²の敷地内には約80棟の白い横張りの板壁の平屋住宅「米軍ハウス」が建ち並ぶほか、カフェや雑貨店などの店舗約50店が営業している。

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カフェが建ち並ぶストリート

なぜこのような街ができたのだろうか。ジョンソンタウンを管理運営する磯野商会の磯野達雄社長に話を聞いた。

 

ジョンソンタウンができるまで~廃墟からの再建

歴史を遡ること1950年代、入間にあった米軍のジョンソン基地周辺の地主らは軍の要請をうけ進駐軍人とその家族のためのアメリカ仕様の住宅を建設したのだという。戦後は基地も縮小・返還され、跡地は払い下げとなり、学校・公園・図書館など多くの公共施設へと変わっていった。こうした周辺環境の変化のあいだも、この一角だけは手つかずのまま、ノスタルジックな空気をまとった米軍ハウスがそのまま残った。

「手つかずのままと言ってもつまり放置されていた訳で、本当にひどいものでしたよ」

と先代から事業を受け継いだ当時を振り返る。しかし磯野社長はこの荒廃ぶりに心を痛め、小さい頃からの想い出の光景を蘇らせようと再建に乗り出す。1996年のことだった。

社長

磯野社長

ここまで老朽化が進んでいれば、一気に地上げして区画整理して新しく上物を建てる…というのが経済的なやり方だが、磯野社長はそうはしなかった。先代から地域に密着した事業を営んできた、その姿勢を大事にしたい。新しい構想を説明して、先方の事情も踏まえながら、地道に貸借人との立ち退き交渉を重ねていった。再建はインフラ面にも及んだ。私有地ということで、道路のアスファルト舗装も上下水道も公共のものではなく、補助金をもらいながら個人ですべて整備した。

「はじめの7年間ほどは、前向きなことはしていなかったですねえ」

ようやくベースの整備が落ち着いたのが2003年。大規模リノベーションを行い5年でおよそ今のジョンソンタウンへと生まれ変わった。

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公園へ続く路地と自然の豊かさ

 

コミュニティが生まれやすいメカニズム

米軍ハウスの家々が並ぶ「景観」、タウン内から隣の公園に続く「自然」、特有の時間の流れ「スローライフ」、そして子育てに安心な「コミュニティのある暮らし」。

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ジョソンタウンリーフレット

 

地元の不動産屋は介さずほぼ100%ネット経由で全国から居住希望者が集まり、稼働率は9割を超える。家賃は相場より高めだし、室内はスケルトン仕様なのでDIYしながら住みこなしていく訳だが、それを楽しめるようなクリエイティブな志向をもった方が多いという。

「面倒くさいけど好きにつくれる。手間暇かけるから、愛着がわくんです」

今年の4月に引っ越してきたという住民の細川さんも言う。憧れの街だったというタウンに実際住んでみてどうだったのだろう。

「ほんとにここの人たちはあったかくて。1歳の娘がいるんですけど「あっちの通りにも同い年のお子さんいるよ」と教えてくださったり「歩けるようになったんだね」と成長を喜んでくれたり。あと、ここに越してきて友人づきあいが増えましたね。自宅に呼ぶだけじゃなくて、周りにカフェがたくさんあるから「いつでも来ていいよ」って気軽に誘える。週末にポーチで夫が日曜大工に励んでいたら、お隣のカフェの方がビールを差し入れてくれたこともありましたよ」

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お隣との境に塀はない

 

ここが130世帯の賃貸戸建住宅地にあらず、至る所に「店舗兼住居」が点在していることが、住民同士の交流をより多くしているのだ。路地で立ち話という光景はほかの集合住宅地でも珍しくないが、ここでは店舗をきっかけに「ちょっとお邪魔します」と建物のなかに一歩踏み込んでいくきっかけになっている。加えて、建物間に塀がないことも心理的な側面でのハードルを下げている。

これらがジョンソンタウンでコミュニティが生まれやすい背景ではないかと分析するのは、磯野社長の息子さんでジョンソンタウン管理事務所所長の磯野章雄さん。

「けして意図的にやってきた訳ではないんです。最初はすべて住宅地だったんです。それが、どうしても自宅の一画で趣味の雑貨屋さんをやりたいというご婦人に押されて…(苦笑)」

とは意外。明確な規制を設けず、コトが起こるごとに要望に耳を傾け、道を見出してきた。結果的に、住宅エリアと店舗エリアは混在しており、観光客が増えてきた今そのことが逆に住民ストレスになってしまう側面もあるというが、念密な都市計画のもと整備された街にはない、予定調和ではないおもしろさが、タウンの魅力にもなっている。

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タウン案内看板

 

住民トラブル解決のスタンス~管理事務所の働き

それでも生身の人間同士、考え方の違いで起こる摩擦は当然ある。たとえば駐車場の問題。

住居と店舗が混在するままに、お客様用駐車場もタウン内数か所に点在していたが、道幅が狭いこともあり「スピードを出したバイクが大きな音で入って来る」「路地から子供が出て来て危ない」などの苦情の声が寄せられるようになった。管理事務所は中立的に、どちらにも住みやすい街にしていかなければならない立場だ。そこで管理事務所は、まずは店舗契約者側に具体的に起きている事象を説明してまわった。

もともとが顔の見える関係だ。誰がどう困っているかが想像しやすかったり、「わたしの快適」と「みんなの快適」に意識が向きやすかったという土壌もあったろう。結果、お客様用駐車場をタウン入口に近い場所に集約することになった。

所長

「まだまだ課題は万隻でありますが、調整を取りながら解決して行かねばと考えております」と磯野所長

 

管理と自治のはざまで

「住民主体」の実現。それがわたしたちの理想だと磯野所長は言う。欧米では、居住者組合(house owners association)が住民同士で厳しい批判をしあい、コミュニティ全体の価値をあげる取り組みを行っている例もあるという。分譲か賃貸かという違いもあるし、欧米の場合、中古住宅に対する経年優化の概念が一般的で、家そのものやその周辺の景観を保とうとするインセンティブがきくという背景の差もある。そのまま適用はできない。

「誇りをもって住んでもらいたい。そのためにはどうすればいいか常に試行錯誤しています。どこまでを管理すればいいのか…細かいルールを提示してしまうと動きがとまってしまう。まずはやってみてもらう。その結果を見ながら問題点があれば修正していこう、と僕なんかは楽観的に思っているんですけど。ここは社長と考え方は違うところなんですけどね(笑)」

 

いくつかの兆しもある。ジョンソンタウンこども会が中心となったクリスマスのダンスショーの催しやご近所さん同士で声をかけあってのバーベキュー、こういった動きにはやはりキーパーソンの存在があるという。しかしここは賃貸、住民の入れ替わりは当然ある。

「タウンは常に変化するものと思っています。コミュニティのキーパーソンが去っても、そしたら次のキーパーソンが自然と出現する。もともとクリエイティブな能力をもっていらっしゃる方がたくさんいるんです。そういう方々の力が引き出されていくのを見るのはうれしいことです」

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住民有志によるBBQ

 

父の心意気と情熱で再建したこの街のハードを、二代目流のソフトづくりの方法論で第二ステージを切り拓こうとしている─200人の住民と共に。どんな街に変わっていくのかこれからも目が離せない。

(文責:山下ゆかり)

 

 

【編集後記】

・タウンでのコミュニケーションツールは、専ら紙(おたよりをポストに)と口伝えだという。メーリングリストもなければ流行りのLINEもここでは不要だそうだ。

・事務所のスタッフと住民との距離の近さも新鮮な驚きだった。タウン内を案内してもらう道すがら通りがかりの住民ひとりひとりと「元気?最近どうしてた?」と気さくに声をかけあう姿が印象的。昔の長屋を彷彿とさせる大家と店子の関係もまた温故知新スタイル。

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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