「すべて子ども中心」の哲学を支えるもの ~しぜんの国保育園

 

しぜんの国保育園」は、自然豊かな町田にある私立保育園。季節になるとふくろうもやってくるという里山の森に園全体が包み込まれている。園舎にはどうぶつ村もあり、きつねやくじゃく、鹿や羊が一緒に生活している。しょくぶつ園では野菜も育てていて、子どもたちは毎日、土や動物や植物とふれ合う。

 

園庭と森が一続きだが、こどもは奥までははいっていかない。どこまでなら大丈夫かのラインを体得しているよう。

 

 

■子どもが正直でいられる場所

 

創立32年の歴史あるこの園で、2代目となる齋藤紘良さんが今年から園長を務める。隣接する曹洞宗の禅寺簗田寺の後継者でもある。園で、お寺で、大切にしていることを紘良さんに聞いた。

 

「一般的には幼稚園や保育園というのは、カリキュラムがしっかりあるというのが多いのですが、当園ではそれよりも“今・ここ”で起きていることを、その日その日のライブが行われるということを、より深めようと思っています。そのほうが子どもにとってより自然な形なんですね。子どもの気持ちをなるべく正直にさせていくということを意識しています」

 

遊びのなかにいる子どもの集中力にはたびたび驚かされる。声をかけるのを躊躇われるほどだ。だから、聞き分けのよい子ほど時間がきたら次のカリキュラムに移らなければならないという中断の繰り返しに、ストレスを溜め込んでいく場合があるというのも頷ける。

 

教室の一角にある黒い壁。子どものものはとかくカラフルにと考えがちだが、ここから離れたがらないという個性の子もなかにはいる。

 

 

■自然と即興性のなかでの学び

 

確かに、ライブ感を重視した環境のなかでは、自らの五感をフルにつかって考えなくてはいけなくなる。その考える力こそ、子ども自身が根源的に求めていることだと紘良さんは考える。
子どものために考案されたはずの教育カリキュラムが、子どもにストレスを与えているという矛盾。大人の社会にも、似たような構図があちこちで見られはしないだろうか。仕事、お金…幸せになるためだったはずのものが、いつの間にか目的化してしまうというジレンマ。

 

園には60人弱の職員がいるというが、しぜんの国の大人たちのいきいきとした表情に、園の運営の秘訣があるように思って聞いてみた。

 

「例えば、プライベートとパブリックとかONとOFFというのは、完全に断絶するとは思えない。重なりあう部分がどういう役割を担うか、“重なり方”が重要だと思っています」

 

自分の肩書きや役割からはずれた素の瞬間。緊張も弛緩もしていないニュートラルな状態。つまり、即興的な学びはその場にいる人たちがどう作り上げていくのかということが大きい。そういうことを園の運営でも大事にしたい、という。

 

そのひとつ、「考え方がうちの保育にすごく近いと思ったから」という理由で積極的に取り入れているのが、ファシリテーションの考え方だ。場で起きていることがすべてで、たまたま集まった人たちの偶然のなかに必然性がある。その人たちがいるからこそこの場が成り立っているというありよう。まさに紘良さんの言うところの“重なりあう部分でのライブ感”に通じる。

 

「保育士って、ティーチャーじゃなくてファシリテーターだなって思います」と紘良さん。

 

職員会議は職員からファシリテーターとタイムキーパーをたて、2時間のうち1時間は理事長・園長からの講話と各役職からの業務連絡。残りの1時間は複数のチームに分かれ、その時々で起こる問題をディスカッションする。例えば、少人数保育体制をテーマにしたときは、議論の結果、従来1クラス20人強だったのが、1クラス10人×2クラス体制をとることになった。「僕自身もともと少人数体制にしたかったのを、あえてテーマで取り上げたところ、職員のほうから結論を出して意見がまとまっていった」という。

 

 

■理念を体現する、たゆまぬ人材育成

 

いくら園としての理念があっても、保育士が理解していないと子どもには伝わらない。「即興的な問題解決能力を育てようと思ったら、そういうことができる職員をまず育てよう」と、人材育成には積極的に投資している。上述のファシリテーションも、毎年職員対象に研修を行っている。

 

一方、紘良さんが園の経営に関わりはじめて3年、「職員全員に浸透できているかというとそこはまだまだ」と苦笑する。しかし、大きな変化の兆しはあった。2年前に北欧の保育のありかたを学びに視察旅行を企画したときのことだ。

 

渡欧にあたって、北欧は自主的な学びを尊重している国でそれを学びにいくのだから自らもそうありたいと思った。参加メンバーは1年目だろうがベテランであろうが関係なく、自ら志願すれば連れて行った。手ぶらでいくのではなく、事前の学びにこだわった。テーマごと(教育制度・文化・環境・保育等)のチームに分かれ、勤務の合間をぬって何度も勉強会を重ねた。こうしたプロセスを経て、自分たちで調べたことを実際に現地で見聞きして学んできた。

 

園舎をもたない「森のようちえん」を視察

 

帰国後の全体報告会での発表を、紘良さんはこう振り返る。「僕からはほとんど口出しはしませんでした。結果、メンバーは最大限の学びを得たと思う」。確かな変化の兆し。「そういう成功例もあるから、職員のことを信じて任せることができるんです」。

 

 

■面倒くささを乗り越えた先にあるもの

 

時に、まっさらな子どもに比べて経験が邪魔する分、大人を変えていくことは簡単ではない。「これまでの既成概念というのはもちろんあります。だけど結局、根底にある原因って“面倒くささ”だと思うんです。なにか問題が起きると、当然、面倒ですよね。でもそこできちんと受け止めて考えられる人が、いろんなことを生み出していけると思うのです」。

 

園長命令として有無を言わさず従ってもらうという方法だってあったろう。しかし、「それもまた違うなと思った」という。理念がなかなか伝わらないというこの面倒ごと付き合うつもりなのだ。育てる任を真摯に実践しているのだ。

 

面倒くさいというのは、自分の許容範囲を超えたところに何かがあるってこと。だからそこを乗り越えると、結果的に自分が大きくなれる」経験的に知っている人しか言えない言葉だな、と思って聞いていると、「僕自身、面倒くさい子どもだったから」と笑って付け加えてくれた。

 

気づいたら変わっていた─。ゆるやかな改革は、ただいま子どもが成長するスピードで進行中。

 

 

■「子ども中心」にひろがる水紋

 

地に根をはった取り組みは、地域の活動へも広がる。しぜんの国保育園のほかに、町田自然幼稚園、成瀬くりの家保育園、ののはな文京保育園と、運営母体を同じくする園が共同でおこなっている地域子育てネットワーク『ふくろうの森』の活動もそのひとつ。産前支援から、小学生までの子育て支援と、地域交流、ボランティアの受け入れ、お年寄りの子育て参加まで、さまざまな事業を行っている。なかでも、自然体験プログラムの『里山キッズ』は、放課後の子供たちの居場所としてひらいて6年目になる。

 

里山の雑木林の整備が主な活動。落ち葉だめの切り返しの様子。

 

紘良さんのなかには、卒園生を見守りたいという思いがある。

 

「園で自由にやらせよう、放任しようというつもりはなくて。本当に学ぶ力をつけた子どもはどんなところにいても自分の力を発揮できると思っています。一番のモットーは『自分らしさを社会性のなかで十分に発揮できる子』を育てたい。最初から20~30人のなかで自分の力は発揮できないかもしれない、自分がどんな能力をもっているかわからないかもしれない。その子だけの力をこの保育園で学ばせたいんですよね」

 

このモットーの手ごたえを確かめたいという思いもあるのだろう。今では、小学校との連携の必要性も感じて、近隣の小学校のスクールボードで理事も務める。地域のさまざまな人が集まって、定期的に校長や教諭と互いの取り組みや考えを交換しあう。しぜんの国が社会のなかで特殊な場になってしまうのは本望ではない。互いの歩みよりを求めて行政とのやりとりは常に考えている。

 

 

■開かれたお寺に向けて

 

簗田寺での取り組みにも意欲をみせる。お寺を、公園感覚で来られるもっと開かれた場にしたいと、さまざまな場を開いている。いつの間にか葬式仏教といわれ縁遠くなってしまったお寺という存在。「お墓参りのときにしか来ないというのは、毎日住んでいる身としては辛い」と苦笑いするけど、切な本音だ。実は、音楽家としての顔ももつ紘良さん。お寺のお堂での音楽フェスも年に数回主宰している。

 

音楽を聞きに集まった若者に住職から説法をする時間も

 

「“日常”を重視した世界観をつくっていきたい。生活がしっかりとできているなかでどうしようもなく発散しなきゃいけない場面にこそお祭りが機能すると思う」

 

仏教でいうところの救済。お寺でフェス(祭り)をやる意味がここにある。「そういうお祭りって節度が保たれているんですよね」死んだらここのお墓に入りたいっていう若いお客さんもいるんですよ、ずっと音楽が聞けるからって、というエピソードに共感。
これからの展望は―。

 

「ゆくゆくは、町全体を巻き込んでやりたくて、チャンスを待っている。バルセロナの街なかのフェスや仙台のジャズフェスのように、地域のことをよく考えてあるもの、その土地にしっくりくることをやっていきたいなと思っています」

 

写真:品田裕美

 

かつてお寺が芸術文化振興の基盤施設としての役割を果たしてきたという原点に回帰する試みだ。おいしい野菜を育てるには、いい土が不可欠だ。じっくり時間をかけて、いい土になってきたんだ。きっと、ここしぜんの国で採れる野菜はおいしいに違いない。【了】

 

文責:山下ゆかり

 

 

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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