スガモフラットは、2007年にオープンした戸数11戸の小規模なコレクティブハウス。以前は豊島区の児童館だったが、児童館が移転することになり、そのフロアをコレクティブハウスにつくり変えることで誕生した賃貸住宅である。
住戸には、ワンルームからシェアタイプ、家族で暮らせるファミリータイプまで、少ない戸数ながらもさまざまな人が住むことを想定したバリエーションがある。
現在、大人が15人と子どもが5人。居住者は「居住者組合(通称:スガモンズ)」を作り、月1回の定例会などで、暮らしの中のさまざまなことをみんなで話し合いながら、ハウスの自主管理・運営を行っている。交代で料理や掃除をしたり、テラスでガーデニングをしたりと、家事を分担しあう。
また、ハウス内のコミュニティに閉じることなく、地域住民との交流イベントも月に一回催す。スガモフラットのコモンスペ-スが居住者以外のご近所さんたちも気軽に立ち寄れ、憩いの場になることを願っての活動だ。今日はちょうど、ご近所交流イベント「みんなの食卓*」が開催されるという。
乾パン、缶詰おでん、フリーズドライ雑炊…。今日のテーマ食材である『防災食』がダイニングテーブルに所狭しと並べられている。震災をきっかけに、いざという時のための備蓄をしようということになったが、なかなか口にする機会のないものだけに、「何が必要?」「何がおいしい?」を試食しながら検討しようという主旨だ。「意外とイケるね」。口々に感想を言い合う大人たちに交じって、「このカレーは辛すぎるので(購入候補には)いれないでくださーい」と子どもたちも負けじと意見を出す。
今日は居住者以外からの参加は、ご近所の地域の方が1名、元居住者が1名と少なめではあったが、誰が居住者で誰が外の人か、誰と誰が家族関係なのかわからないぐらい和気あいあいとした雰囲気。食後、ふと気がつくとコモンスペースに子どもたちの姿がない。様子を見に行った母親Nさんが「Yさん家に、お邪魔しているみたい」と戻ってきた。
“お互いさま”の安心感 ~ファミリー世帯にきく~
「気がつくと子どもたちの姿が見えなくて、お隣さんの部屋で何時間も遊んでいて、自分たち夫婦はゆっくり過ごしている、みたいな(笑)。日常だよね」「それって、お互いにそう。うちの子の姿が見えないとお隣かなと思うとやっぱりそうだったり。
たぶん本当にダメなときはきちんと『ダメ』と言ってくれるだろうという安心感というか信頼感がある。お互いさまのところもあって、子どもたちが行き来できるのかな」「頼られるから頼るみたいな」
子どもたちの表情が、本当にいい。ハウスでは、たとえ親の目が届かない時でも、いつも誰かの気が向けられている。大人たちの“覆い”に包まれて、心からリラックスしているようだ。
任せて、お互いを活かしあう
リラックスしているのは子どもだけではない。スガモフラットでは居住者同士、これまで一度の揉め事もなく、定例会でもいつも和やかムードだという。
「うーん、みんな柔軟な人たちなのかな。伝え方・コミュニケーションの取り方が柔軟」
「『大人』なのかもしれない」
「担当グループに分かれているので、自分の担当分は担当としてやって、あとの分はみんなでシェアというか、任せてお互いを活かしあうというか」
冗談めかして「たまたま“いいひと”たちが集まっているんじゃないですか」とある居住者は言う。
奇跡のような絶妙な関係性がここにはあって、「そうなのかも」と一瞬、まぐれ説を信じそうになる。いやいや、しかし、そうではなく。お互いの気遣いあいが“いい”ムードの素なのだろう。
「場」が育っていく感覚
ここで暮らしているなかで自分が変わったな、成長したなと感じることはありますか?」と尋ねてみた。
「暮らし方が上手になって、どこへいっても社交的に生きていけるというようなこととはちょっと違うかもね。例えば、子どもたちが家から独立した後はどうなるか考えてみるとね、また住まい方も暮らし方も違うんじゃないかなって思うし」
「個人として成長しているというよりは、『場』によって育てられているという感じでしょうか。自分一人で考えていても分からないことも、関係性を積み重ねながら、みんなで楽しめるものを見つけていく―。こうした行為自体が一つの文化のようなものかもしれない」
既に用意されたものを借りたり、他人に委ねたりするのではなく、関係性を積み重ねながら、居住者みずからの手で育て上げてきた成果がここにはあった。
30代単身女性 Nさんにきく
ここに住む前は、大学での寮生活や友人とのシェア経験があったというNさん、シェア生活の達人といったところだろうか。スガモフラットには以前友人が住んでいて、遊びにきているうちに入居するに至ったという。そんな背景もあってか、ごく自然にコレクティブハウスでの暮らしを楽しんでいる。
一緒と一人、両方あるからちょうどいい
— 改めて、ここでの暮らしの良さは。
「自分ではシェアハウスとは違うと思う。『すべてシェア』ではないところがいい。コレクティブハウスの場合、プライベートスペースもあるから、自分でシェアする分量を調整できますよね」
「あとは、コモンミール。ここ(コモンスペース)にいると「おいしいね」っていいながら食べられる。仕事で週末しかみんなとは食べられないけど、今くらいのペースでちょうどいいかな」
— その「ちょうどいい」感じに至るまでは?
「住みはじめたときから、とくに紆余曲折はなく、はじめからこの心地よさ。入居前のオリエンテーションで『ルールはあるけどこれが決定事項じゃないから、なにかあれば言ってね』と言われた。『そうか!』って。それもひとつだったかもしれない」
ファミリー世帯からも「心地いい」「楽」というキーワードがたくさん出た。
「自分の立ち位置を感じながら、互いの距離感が図れて、過度な期待をせず、無理せずに楽しむ」。そういっていたのは居住者Mさんだが、Nさんのありようにも当てはまる。シェアする暮らしの“センス”ともいえそうだ。
つながろうとする“意思”
しかし、「ちょうどいい」状態を維持し続けることは、そう簡単ではないはずだ。その源泉はどこに。
「つながる意思があることなのじゃないかな、住んでいる人に」
「やっぱり居住者との交流、楽しいですものね。会社や友人関係とはつながれないような人たちとつながれる。こういうことに価値を見いだせる人でないとなかなか理解しにくいのかもしれない」
ここには、スペースのシェアや家事のシェアだけではない、目には見えない価値があるという。“文化”のある暮らし。インタビューの最後にこう訊ねた。
— あなたにとってスガモフラットとは?
「“家”、かな。ひとり暮らししていると自分のうちって“箱”でしたけど(笑)」
この「家」には子どももいれば、自分のお母さんやお父さんと同じくらいの年代の人もいる。一人で過ごしていても、隣の人の気配を、あたたかいものとして感じている自分がいる。昨日と今日のコモンミールのお味噌汁の味が違うことで、それぞれの“家庭の味”が最高のごちそうだと感じられる。これらは、多世代・多世帯暮らしだからこその豊かさなのかもしれない。日常のなかに共に楽しさを見出し、粋に暮らす“スガモンズ”たち。彼らは、選ばれた少数の稀有な人たちではない。自らの意思でこの暮らしを選んだ普通の人たちなのだ。【了】
文責:山下ゆかり
*「みんなの食卓」は、毎月決まったテーマにあわせて食材を持ち寄り、参加者全員でつくって食べる、スガモフラットのコモンスペースで行われているランチの会。