「とくい」の交換からはじまるコミュニケーション ~とくいの銀行

茨城県、常磐線の取手駅を降りて車で5分ほど向かうと、突如巨大な団地群が見えてくる。
取手井野団地は1969年、池を埋めるようにしてつくられた巨大な団地である。
今回取材した「とくいの銀行」とはこの団地の中にある空間
「いこいーの+TAPPINO」に本店を構えている一風変わった銀行のことである。

 

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かねてからその存在が気になっていたものの、なかなか予定が合わず取材出来ずにいたところ、とくいの銀行頭取の深澤孝史さんから、「9月29日に、株主総会ならぬ「とく主総会」があるので、よかったらいらしてください。」とのお誘いをいただいた。

 

「とくいをあずかり、ひきだす」とくいの銀行
その仕組みと、そこに込められた想いに触れたくて、取手井野団地を訪れた。

 

 

とくいなことを集める

とくいの銀行の仕組みはとってもシンプルだ。
簡単に言うと、お金のかわりに「とくい」なことを預かる銀行のことで、
銀行が預かった「とくい」は、あずけた人同士で交換し、利用出来る仕組みとなっている。
あなたが何かしら自分の「とくい」なことをあずけると、他の人が預けた「とくい」をひきだすことが出来るようになる。

 

用紙に記入され集められた「とくい」はジャンル毎に分類され、本店の掲示板に張られていく。
そこから自分が引き出したい「とくい」を見つけた場合、銀行のスタッフに声をかけると、
彼らは申し込みを受けつけ、両者を仲介し、イベントの企画をはじめる。※1

 

本店の掲示板は集められた「とくい」がカテゴリー別に色分けされている。

 

 

今でこそ「とくい」が自然と集まってきているが、最初の頃は通りすがりの団地の人に声をかけるなど、半ば無理矢理とくいを集めたという。取材当日の「とく主総会」には「長寿の秘訣をおしえます」というとくいを預けた団地在住の83歳の方が「いやぁ、あのときはいきなり「とくい」を預けろと言われてびっくりしたよ。」と嬉しそうに振り返る一幕もあった。

 

 

ひきだされる「とくい」

「とく主総会」では、これまでどのような「とくい」が誰に、どのようにして引き出されたかを振り返る時間が設けられていた。
はじめの頃は、なかなかひきだされなかったため、銀行側が自らひきだし、イベントを開催していたようだが、スタッフの1人があずけた「下手なヴァイオリン弾きます」というとくいを独居老人の女性がひきだし、彼女1人のためのコンサートが開かれると、その後は、「簡単な韓国語講座」、「お仕事のお悩みお聞きします」などが次々にひきだされたようである。

 

次第に160以上(当時)の「とくい」がたまってきたものの、誰からもひきだされず埋もれている「とくい」が増えてきたとき、銀行スタッフの方がこれまで集まった「とくい」を眺めると「これとこれを組み合わせたら面白そう」という妄想がどんどん広がったという。そこで、いくつかの「とくい」をいっせいにひきだして、それらをかけあわせる「第一回ひきだそう会」なるイベントが企画された。

水泳がとくいな小学生による「水泳体操」で開会し、会場内には「丁寧に字を書きます」「指圧マッサージ」など様々なブースが会場内に所狭しと並んだ。中には会場を飛び出して、ある主婦の方の家にお邪魔し、生活の知恵をのぞく「台所便利チェックツアー」も開催されたようだ。この日のフィナーレは「リコーダー」と「鼻笛」という2つの「とくい」のかけ合わせからうまれた「リコーダーと鼻笛コンサート」で幕をとじたという。

 

台所便利チェックツアーでの一幕

台所便利チェックツアーでの一幕

 

フィナーレのリコーダーと鼻笛コンサート

フィナーレのリコーダーと鼻笛コンサート

 

「とくい」の押し買い

とくいの銀行には「下手な○○弾きます」という「とくい」がいくつか預けられているという。それらのちょとく票には「ホントに上手くないんです。でも、もし聞きたいって言ってくれる人がいるなら演奏させてもらいたい…かも…」といったメッセージが。

 

とくいの銀行スタッフの川本さんは「それらはまだ見ぬ”いつかひきだしてくれるかもしれない人”の存在を想定して「とくい」をあずけているのではないか」と語る。こうした知らない誰か、誰かの新しい一面、自分でも気づいていない自分自身の「とくい」は、スタッフがひとりひとりと話し合うという極めてアナログな営業形態によって発掘されている。川本さんはそれを”押し売り”ならぬ「とくい」の”押し買い”と表現してくれた。

 

「とくい」が集められた前述の「ちょとく票」を私がぱらぱらと眺めていると、「こんなのでよければ…」と謙虚なメッセージが添えているものが多かったが、中には一見誰でも出来るようなことを「私、これ出来ます!」と堂々と書かれているものもあった。ちょとく票を見る側からすると「これでもいいんだ(若干失礼!!)」と、気が楽になり、自然と「自分ならこれが出来るな」と、自分の「とくい」が引き出されるということがあるように感じた。

 

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「この人のため」という対象が明確なインフラづくり

取手では、1999年から取手アートプロジェクト(TAP)というアートプロジェクトが発足しており、「とくいの銀行」の頭取である深澤さんも2006年から加わっていた。

回を重ねる毎にTAPのメンバーの中には、「フェスティバル型のアートプロジェクトで本当に幸せになれるのか」という疑問を感じているメンバーが徐々に増えており、※2

2010年にNPO法人を設立。事務局体制を敷き、恒常的な関わりからプロジェクトをはじめようとしていた。

 

時を同じくして、深澤さんも2006年に参加した野村誠さんプロデュースのアートコミュニティ「あーだ・こーだ・けーだ」の一員として再結集。「今、団地で何が出来るのか」に関する議論を繰り返した。何度もアイデアを出しては、それを実践していく中で、徐々に「とくいの銀行」の形が出来てきたという。そうした動きの中、2011年3月7日に深澤さんが勝手にとくいの銀行の頭取に就任。2011年10月「いこいーの+TAPPINO」が開業し、そこから本格的な営業が始まった。

とく主総会の中で深澤さんが再三にわたり話していた「1つ1つの”とくい”のひきだしをじっくり丁寧につくっていく」という言葉についてもっと話が聞きたくて、「とく主総会」後の深澤さんに尋ねた。

 

 

──お話を聞いていると、深澤さんは1つ1つの「引き出し」をじっくりつくられているなという印象をすごく受けたのですが。

 

深澤 あー。そうですね。

誰かが必要としていて誰かに必要とされていて。あずけた人とひきだした人の1対1の誠実な対話を、周りの人がどう支援的に関われるか。どうやって、その交換を少し公共的につくっていくことを支えていけるか。が大事なのかなと活動を続けている中で思いました。「みんなのため」っていうのをすごく突き詰めて考えていくと「その人のため」っていうのに言い換えられるはずだなと思っていまして。

 

浜松に、重度の知的障害の子を持つお母さんが立ち上げた、クリエイティブサポートレッツというNPO法人があり、そこは障害のある子どもに向けた音楽やアートの講座やアートセンター計画事業などを通して障害のある人の新たな社会つくりの実践を行っていました。そのNPOの「たけし文化センター」というプロジェクトに2年間ほど関わっていたんですね。

 

僕個人のそのNPOの当時の現状の捉え方としては、息子の「たけし」がきっかけにはじまった活動ではあるが、理念と内容にズレがあるような気がしており、ちょうどアートセンターの実験事業をおこなっていたこともあり、たけしのためにはじめた活動ならば、たけしのためのアートセンターをつくったらどうかと思い、当時のスタッフの鈴木一郎太さんとともに「たけし文化センター」の企画運営をおこないました。

 

 

──そのセンターで深澤さんはどんなことを。

 

深澤 僕がというわけばかりではないんですが、たけしのためだけの音楽つくりワークショップが企画されたり、砂利遊びが好きな彼のためだけの場を構成したりしながら、たけしや来場者と遊んでいたという感じだったと思います。

たけし文化センターで構想した、1人のためだけの公共施設をつくるという発想がとくいの銀行には直結しています。みんなのための場所という考えで、大体の公の場はつくられると思うのですが、元をたどれば特定の誰かが必要としていたはずで、その特定の誰かをもとに場や出来事をつくっていくということを行っています。それは本来当たり前のことのような気がしていて、それをそのまま形にしたらどうなるかということをやっているんだと思います。

 

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固有の特性の重なり合いが新たな世界を構築する

 

──話が少し変わりますが、とくいの銀行は地域通貨の取り組みとは少し、というか全く異なるように思えてきたのですが、その辺りどうお考えですか。

 

深澤 そうですね。地域通貨の話を聞かせてほしいとよく言われるんですが、よくわからないので説明しづらいんです。それで向こうもピンとこない顔をしていたりして。その人たちはおそらくしっかりしたビジョンを持っていて、こういうためにはこういうことが必要だという筋道がたっているように思うんです。

 

僕はそうではなく、明確な目標があるわけじゃない。んー、なんと言うか、あたりまえのことが、無意識的にあたりまえになればなぁと思ってやっています。もっと手前のことを見ているという感じですかね。

うーん、子どもの頃とかに自転車に1人で乗っていて、よく「わーーー!」って叫びながら帰ってましたけど、まあ、いまもやりますが、それって別に誰かに共有するものじゃないわけですよね。

 

──一同笑い。

 

深澤 そういう個人的な、人のはみでたような性質を共有するきっかけとして、アートがあるんじゃないかなと。それは別にいわゆる“アーティスト”だけがもっている訳ではなく、アーティストではない人にも間口があると思うんです。

 

これまでの活動を通して、自分は、後天的に教え込まれたものとは別に、1人1人がもともと持っている特性と言うか、「くせ」みたいなものに興味があるんだなと気づきました。

すでに用意された仕組みありきで生き方を考えるのではなく、それぞれの固有の特性が重なり合うところから自分たちの世界を築いていくことが出来るんじゃないかなと。

 

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自分から「これがとくいです。」ということは、割合後天的に教え込まれた、技能や能力と呼ばれるようなものが多い。その一方、1人1人がもつ、マニアックであり、ユニークな「クセ」みたいなものは、なかなか自分ではそれが「とくい」だとは気づきにくい。むしろ、そっと隠しておきたいことかもしれない。

 

ただ、そういった「クセ」を少し誰かに明かし、それを誰かが受け止め、その人も一緒になって楽しむ時間は、お互い何か自分の秘めた部分をさらけ出しているようで、独特の緊張感もある。それだけに、「こんなこと出来ます」「あ、お願いします。」といった技術のマッチングとは少し違った質の時間になっているんじゃないかと、深澤さんのお話を聞いていた。

とくいの銀行での、「引き出す」という行為は、その人しかしらない「クセ」のような秘められた部分を無意識に引き出すきっかけとして、井野団地に定着しはじめているのではないか。あたりまえのことが無意識にあたりまえになっていく仕組み。それを通じて立ち上がる風景は、僕たちが当たり前に欲している、人と人との関わりのある風景なのかもしれない。

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【了】

 文責 今田 順

 

補注

※1 web上でも「とくい」を引き出すことは出来るが、そうしたケースは2013年9月時点ではあまりないらしい。紙媒体で、とくいをあずけたりひきだしたりするときは、それぞれ「ちょとく票」「ひきだし申込書」という用紙に記入する。「ちょとく票」は名前、アドレスなど非公開の「おとくいさま情報」と、全員が閲覧出来る「とくい」の部分に分かれている。

※2 1999年の創設時から、このときまでは、全国から作品を募集する「公募展」と、取手在住作家の活動紹介である「オープンスタジオ」を隔年で開催していた。

 

編集後記

 現在山口県山口市にある「ななつぼし商店街」では、「とくいの銀行」の支店として新たなプロジェクトが進行中である。更に、これまでの「とくいの銀行」の軌跡がまとめられた「とくいの銀行なんとなく開業マニュアルブック」も出版されており、「とくいの」銀行の仕組みに興味がある方はいつでも学び、実践出来るようになっている。

 

 

今田 順

今田 順

1989年東京都高尾生まれ。3歳より広島で育つ。 大学在学時、西国分寺の喫茶店クルミドコーヒーの店主影山のお話会に参加し、 サードプレイスとしてのカフェの可能性、 実際にクルミドコーヒーで起こっていたことに感銘を受け、 気がつくと、インターンシップという形で参画。 とある理由から大学の卒業が延期になったところを影山に拾われ、 2013年10月より正社員として勤務。 「シェアする暮らし」について 日本の都市部では、一人でも暮らしていける商品やサービスで溢れています。 個室のある住居、一家に一台のテレビ、炊飯器、車…。 人間関係の煩わしさから逃れたいという想いから 都市での暮らしを選択したという人も多いように感じますし、 僕たちの世代では生まれたときから、そうした生活が自明であったように感じます。 ただ、近年、その暮らしに、どこか物足りなさを感じている人が少しずつ増えてきており、 めいめいが自分たちの好ましいと思う形で、寄り合って、生活をつくっています。 1人でも暮らしていける時代に、 集まることで得られる豊かさや、おもしろさを知っている人が 少しずつ増えていけばいいなと願っています。 参加プロジェクト 地域通貨ぶんじ リンク Facebook

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