自発的な市民参加によって形成されるコミュニティとして国内外から注目されている、韓国はソウル市内にあるソンミサン・マウル。当サイト代表の影山による視察報告会の様子を前回レポートしたが、後編となる今回は、影山からみなで話し合ってみたいテーマを投げかけながら、会場とオープンディスカッション した様子をレポートする。
みなで話し合ってみたいこと
1.これは特殊な人たちの特殊な事例なのか?
Q(会場から):このエリアの生活水準レベルは?
A(影山): 50~100万円単位でプロジェクトに出資ができる人がいるということからも、一定以上の経済水準にあるメンバーが中心であるということはあるのだろう。ただ日本での展開を考える場合、事業の資本金をすべて自分たちで出さなければならないということでもきっとなく、参加メンバーの経済水準が、決定的な差異になるとは思わない。
Q:元々コミュニケーションが上手な人の集まりでは?
A:因果関係はむしろ逆とはいえないか。こうした取り組みに参加し、多様な意見に触れあう過程で、互いのコミュニケーション技術が練られていくということはきっとあると思う。
とはいえ、もうひとつ考えてみたいのは、ソンミサンにおけるコミュニティ形成は基本的に「Do」ベースで、なにか「やりたい」ということがきっかけになっていることが多い。ということは「Do」に至っていない人、そこまで意識を言語化できていなかったり、行動に移せていなかったりする人にとっての居場所はどんな風になるんだろうと思った。何かをしていなかったとしても「あなたはここにいていいよ」と言ってもらえるような場所は、果たしてソンミサンにあるんだろうか?何かしないといけないと、せきたてられるような感じになったりはしないだろうか?
2.運営のストラクチャー
こういう事例でよくあるのは、各プロジェクトの代表者を決め、さらにそれらの代表者が集まる連絡協議会をつくって…というようにストラクチャーをつくること。しかし話を聞くかぎり、ソンミサンにはそうした機構はないようだ。一応、全体的に見ている社団法人「ひととまち」というグループはあったが、実際何をしているんですか?と聞いたら「ソンミサン祭りの企画と、あとは…、木を植えることかな」という回答(笑)。そこが全体を統括して幹事役を担っているという体ではない。つまり、1200人の「全体」を把握している人がいるわけではない。それが風通しよく気持ち楽にやれているという理由なのかもしれない。
Q:元共稼ぎの子育て世帯からはじまったということだが、仕事や子育てでただでさえ忙しいだろうに、どうやってまちづくりのための時間を割いているのだろう?
A:必ずしもフルタイムでのコミットメントを求めていないということだと思う。それぞれのやれる範囲で、持ち寄れる範囲でやっていこうというスタンスなのだと思う。ただそうした中で、フルタイムに近い形で役割を担っている人もいて、そうしたメンバーがひとつの推進力をつくり出しているという面はあると思う。またここまでくると、1200人という規模感が助けになっている部分もあるのではないか。
3.“たたかいの記憶”のこと
ソンミサンの歴史を振り返るなかで見逃せないのが、過去2度にわたって起きたソンミサンの開発反対運動である。ここでソンミサン・マウルメンバー間の結束が強まったということがあるだろうし、元々の地域住民との連帯の機会にもなったのだろう。同じく、影山が最近関心をもっているまちづくりのもうひとつの事例にイタリアのボローニャがある。ここもかつて第2次世界大戦時、レジスタンス闘争の拠点になるなどして、その時の「たたかいの記憶」が世代を越えて人を結びつけ、ちょっとした困難であきらめない人々のメンタリティを形づくっているという面があると聞く。「たたかい」とまではいかないにしても、困難を共に乗り越えた経験が人と人を結びつけるという事象は、世界の至るところで見られる事例なのだろう。
4.全体性概念
「まち」という単位で物事を考えようとすると、「やりたいこと」だけでなく、どうしても「やるべきこと」「やらなければいけないこと」が出てくることってないだろうか。「自由」を間違って解釈し、「やりたいことはやるけど、やりたくないことはやらない」が普通になってしまうと、「やるべきなのに、やりたい人がいない」という状況を生んでしまうことってないだろうか。
5.「参加者」を選べない状況への対応
行政的な立ち位置からコミュニティづくりに携わっている方々からしてみると、境界の定まった一定の地域を、そこに住む人がどういう人で、どういう志向性にあろうと、職責として面倒をみなくてはいけないということがあるだろうと思う。言わば「参加者を選べない」状況なわけで、その分、さまざまなすれ違いや摩擦も起こり得るだろう。「違いを受け止め合いながら、建設的にコミュニケーションする」ことが、どういう範囲で再現可能なのか、興味がある。
6.高騰する不動産との付き合い方
街づくりがうまくいって、みなにとって魅力的な街になればなるほど、地価は高騰し、自分たちが住めなくなるというジレンマも起こり得る。実際にソンミサン・マウルでも、家賃が上がってしまうため、ひとつのカフェが退去せざるを得ないという状況が起こっていた。こうした点は、行政的な介入(支援)が求められる領域なのかもしれない。
7.モデルの横展開可能性
Q:市長の政策により横展開の事例は生まれたか?
A:いままさに起こりつつあるということだと思う。
ここで触れておきたいのが、マウル共同体総合支援センターのあり方。既存の行政組織から担当者を派遣するのではなく、マウルで現場をつくってきた当事者を要職に招聘するというアプローチをとっているとのこと。支援のやり方も、行政側でひな形を作ってそのモデルに応募してくれる団体に助成するという公募型ではなく、自由発意型で、3人以上が集まって「こんなことやってみたい」というアイデアがあれば相談できる窓口を用意しているとのことだった。
8.行政の関与の仕方
以上のような、気付いたところからできる範囲で小さくはじめるというソンミサン・マウル方式を後方支援する、つまり干渉しすぎず、しかし実効的な行政の関与の仕方は学ぶべき点。一方で、(地価高騰の例で取り上げたような)市場の競争原理のなかで淘汰されてしまわないように、守るという観点での行政の関与の仕方も必要であると感じる。
9.協同組合の可能性
街にいる人たちの持ち寄りで、気軽にひとつの事業体をつくるということがあったらいいなと思う。日本でも協同組合は歴史ある取り組みではあるが、許認可のハードルが高いことが大きな課題となってしまっている。
韓国では、2007年に社会的企業育成法という法律ができたが、2012年12月には協同組合基本法(5人集まれば協同組合の設立を認めるという自由度の高いもの)が施行された。この一連の動きは、「I am アントレプレナー」から「We are アントレプレナーズ」への潮目の変化ともいえる。つまり、ある特定の社会起業家がいて、その個人のエネルギーや理念でものごとを起こしていくという方向性には一定の限界があると気付いたのではないか。一人が重すぎる負荷を背負ってチャレンジするのではなく、みなで持ち寄り、相互支援し合う形で事業を起こしていくというやり方を考えると、協同組合という法人格のあり方が、日本でももう少し見直されてもいいのではないかと思う。
以上、前編・後編2回にわけて、報告会の様子をご紹介してきた。当日満員となった会場だが、閉会後も感想を交換しあう人でしばらく熱気は冷めやらず、集まった人それぞれの中にある思いが引き出された様子だった。感想のなかには「聞けば聞くほど、ソンミサン・マウルとはいったい何ぞやという興味は深まるばかり。ぜひとも一度訪れてみたい」という声も聞かれた。
当日は、ツアーの動画上映あり、関連書籍の販売コーナーあり、さらには韓国茶菓子も振る舞われ、ソウルの香りただよう2時間半となった。【了】
(文責:山下ゆかり)
【編集後記】
再度のお知らせになるが、今回の視察ツアーのレポートは下記サイトからご覧いただくことができる(PDFダウンロード)。
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マウルを案内してくださったシャンティさんのお話、ソンミサン共同体総合支援センターのムンさんのお話、ツアー参加者によるレポートなど、今回の報告会では語りつくせなかったエピソードも満載となっている。合わせてご一読されることをお勧めしたい。