全員がリーダー、指揮者のいないオーケストラ ~東京アカデミーオーケストラ

 

「指揮者のいないオーケストラ」と聞いて、どんなことを想像するだろうか。社長のいない会社か、監督のいないサッカーチームか―。指揮者を置かないオーケストラとしては、1972年に創設されたアメリカの「オルフェウス室内管弦楽団」が先駆けとして知られている。指揮者なしでリハーサルセッションを重ね、メンバーそれぞれが責任を持ちコンセンサスを醸成していく手法は、組織を運営する手法として「オルフェウス・プロセス」と呼ばれ、経営学の分野でも注目されている。日本にも、20年の長きにわたり同様の活動をしている楽団がある。東京アカデミーオーケストラ、通称TAO(タオ)だ。

 

早稲田大学交響楽団、慶應義塾ワグネル・ソサィエティー・オーケストラ等の大学オーケストラ首席経験者が中心となって1991年に結成された東京アカデミーオーケストラ

 

団員は約40名。メンバーは全員がそれぞれ職業を持ちながら、休日の活動として音楽を続けている30代が中心だ。アマチュアながら、コンクールに入賞するメンバーや海外での演奏経験のあるメンバーもいて、演奏レベルは非常に高い評価を得ている。定期演奏会として春と秋の年2回、20年間欠かさず自主コンサートを開催していて、今秋の演奏会は第40回*を数える。

 

なぜこのような形式の楽団をはじめようと思ったのだろう。団長の田口輝雄さん(コントラバス)、団員の室住淳一さん(クラリネット)、河内多結さん(コンサートミストレス)、横山優子さん(ビオラ)、大野憲二さん(ホルン)にお話をうかがった。

 

右から横山さん、大野さん、河内さん

 

「東京の大学オケを卒業した首席奏者たちの活躍の場として、少数精鋭*の室内オーケストラを結成しようとしたのがきっかけでした。メンバーは強者ぞろいでしたので、特定の指揮者をおいて演奏するより、室内楽のように指揮者を置かずに音楽を作り上げることの方が挑戦的で楽しいのではないかとの発想からです」(田口さん)

 

 

リーダーがいること、いないこと

 

指揮者がいる大規模のオーケストラも、指揮者をおかない少人数の室内楽も経験してきたメンバーだから、その中間の可能性をイメージできたのかもしれない。実際やってみて、どんな違いがあったのだろう。

 

指揮者がいる場合だと、指揮者の期待にいかに応えられるかという気持ちが強かったのですが、TAOでは自分から音楽を発信し、メンバーから発信された音楽を受け取るといったセッションが醍醐味なんです」(室住さん)

 

「神経の使い方がまるで違いますね。大学時代、大きな規模のオケのコンミス*もやっていましたが、そのときは全員のことを分かっていないで前で弾くだけ。ここでは、アンテナが全員のところに張りめぐらされている。自分のアクションが相手にとっての合図になるし、自分も相手の反応を受けてそれをどうやって体で表現するか考えている…。考えなくてはいけないことが量も質も全然違う」(河内さん)

 

「僕もそうですね。これはコンミスだからということではなく、TAOでは場面ごとに主導権をとってアピールをしていくメンバーが曲のなかで常に変わっていくから」(大野さん)

 

互いが見えるように円形になっておこなうリハーサルセッション

 

 

気配を感じあう、無言のメッセージ

 

ステージ上では、あちこちで視線が飛び交う。ブレスも重要な合図。練習初期だと「次、誰が合図を出すんだっけ」と、演奏途中で音が止まってしまうこともあるという。指揮者がいる場合では、まず起こらないことだ。室住さんは入団当初に初めて演奏した曲が休符から始まる曲で、「誰かの動きにあわせてぴったり合わせて入ることができず、指揮者のいないオケでやっていけるのか」と不安に思ったこともあったとか。

 

「音楽のつくりかた自体が根本的に違う」と横山さん。自分のパートの譜面だけ見ていても指揮者がいればそれなりに成り立つのだが、TAOでは他パートが何をやっているか知りつつ弾くことが必然だという。「同じ景色が見えているかどうか。壁画をかくのに、全体像を知っておかないと、自分のところだけただ塗るというわけにはいかないのと同じ。それでも曲の全体像はわかっていても、テンポやコントラストなどの方向性をセッションで合わせていくから、結果的に始めに自分が思っていたのと違う絵になることもあって、それが面白い」のだという。

 

リハーサルセッションの積み重ねのなかで、イメージをすりあわせ、ひとつ一つの音を創り上げていく
写真:渡部晋也

 

指揮者がいなければ話し合わなくてもいいことも、ひとつ一つ話し合わなければならない。正直、面倒くさいと思うことはないのだろうか。「それは毎度…(笑)」「人数が少なければ楽なのにとか」「指揮者がいれば楽なのにってね」。音楽面だけでなく、指揮者がいれば引っ張っていってくれる曲決めや練習計画などの様々な決めごとを、TAOではどんな風に行っているのだろう。

 

「合宿や飲み会で意見を出し合いながら、あいまいに決まっていきますね。このゆるゆるとやる微妙なコンセンサスの醸成の仕方がひとつの特徴かもしれない。意思決定のルールや役割があるわけではなく、ゆるゆるとしながらも、自分たちでやろうという部分を大事にしている。たとえば、指揮者のいないオケのコンマスを受けるというのは大変なこと。仕事や家庭などプライベートの調整などもある。本人のモチベーションがないととても務まらない。『お願い』と口説く場合もあれば、『この曲ならやるよ』と立候補する場合もあります」

 

 

マルチリーダーシップによる組織運営ができるまで

 

絶妙のあうんの呼吸で運営しているTAO。しかし、初めから今のような形ではなかったという。

 

「例えば、リハーサルセッションでも発言する人としない人が決まってしまったりしていました。自分の演奏を棚に上げて他人に意見することに、ためらう人が多かった。大学の先輩後輩という関係もあったりして。当初はコンマスが指揮者に成り代わってとりまとめていた時もありました」

 

そして、7、8年前に転機が訪れる。この頃のTAOは、演奏会を開いても思うように来場者が集まらないという課題を抱えていたという。この状況に危機感を覚えたメンバーが、問題の棚卸しにかかる。

 

「集客不振の問題の根源は、演奏会の宣伝や告知活動が他人任せになってしまっていたことにありました。ちらしとチケットはメンバー全員に配布されるので、一人ひとりの地道な口コミ活動が集客に大きな影響を及ぼします。しかし、配布状況のモニタリングをしていなかったこともあり、ほとんどの人が当日初めて客入りを把握するといった状況でした。さらには、リハーサルの計画策定、合宿や日曜日の練習場所の手配など運営面でのさまざまな仕事が、特定の個人に集中してしまった結果、業務の滞りが発生していました。この時、他のメンバーはそれらの仕事が誰によってどのようにされているかほとんど知らないという状況でした」

 

言ってみれば、音楽面ではできているマルチリーダーシップが運営面では発揮できていなかったのだ。全員で話し合った。そして、気づきがあった。

 

「一番問題だったのは意識です。演奏でだけ貢献すれば良いと思っていた人が多かったのではないかと思います。セッションにより積み重ねてきた演奏という成果をたくさんの人に聴いてもらいたい、そのためには日ごろの運営面の仕事も皆でシェアしてやっていこうということが、このとき改めて確認できました」(室住さん)

 

「表(演奏)も裏(運営)も、両面のマネジメントをそれぞれが担わないと、結果は伴わないということを体験的に知った」(横山さん)

 

ドキっとする言葉だ。いつの間にか、サービスをうける消費者感覚になっている自分はいないだろうか、と胸に手を当てる。自らの手や頭を使ってやることでしか本当に望むものは手に入らない。シンプルだけどそうなのだ。

 

楽団に徐々に変化が起こった。共通の目標である「音楽の悦楽を味わいたくさんの人に聴いてもらいたい」に向かって、「一人ひとりが貢献しよう」「責任を分かち合おう」という機運が生まれた。さらに、共通の目標がもてたことで、ようやく皆が平等に意見を言えるようになったという。「上下関係や団でのキャリアの年数の多さなどはなしにしよう」ということが暗黙知になっていった。

 

「たとえ意見がぶつかっても、最後はコンセンサスを得て決まったことを皆で一生懸命にやるということが、音楽面だけでなく運営面でも発揮できるようになったのは組織として成長した証です」
写真:渡部晋也

 

 

やり方が違うから結果も違う

 

TAOの音楽は、なんといっても音が楽しそうだ。いわゆるキズのない演奏では必ずしもないのかもしれない。それでも、否それ以上に聞く者を圧倒するライブ感と、鳥肌が立つほどのバイブレーション。

 

 

何にわたしたちは感動するのか。リーダー(指揮者)が「いない感じ」はまったくしない、むしろあらゆる場面でそれぞれ一人ひとりのリーダーシップが発露しているという、その「いる感じ」に圧倒される。一人ひとりが自分を生かし、周りを生かし、互いに高め合って新しい可能性を作っている。ここには弾かされている人、吹かされている人がひとりもいない。ここまでのレベルに到達するのに、組織として10年かかったという。まだまだ変わっていくTAOに目が離せない。【了】

文責:山下ゆかり

 

* 今秋(2011年11月20日)創立20周年記念の演奏会ではブラームス交響曲第4番などに挑戦する。
* フルオーケストラの場合、70~100人規模であることと比較して。
* コンサートミストレスの略。オーケストラの演奏を取りまとめる職のことで、一般には第1ヴァイオリン(ヴァイオリンの第1パート)のトップ(首席奏者)がこの職を担う。男性奏者の場合「コンサートマスター」と言う。

 

 

山下 ゆかり

山下 ゆかり

シェアする暮らし歴10年以上、コレクティブハウス居住。はたらく3児の母(30代)。 「シェアする暮らし」について 人々が住まいの“常識”から解放されたとき、どんな世の中になっているかな。 参加プロジェクト コレクティブハウス聖蹟

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