小田急線・経堂駅北口ロータリーを抜けて歩くこと約3分。路地を少し入ったマンションの地下に、ひっそりとたたずむ「さばのゆ」。銭湯のような名前のこのお店で、今日は落語会が開催される。店内には溢れかえるほどのお客さんでいっぱいだ。
この日は桂吉坊さんの落語会。人気落語家の演目に、30名を超えるお客さんが駆けつけた。
「ご近所づきあい」のメッカ
「落語カフェ?」。いや違います。「居酒屋さん?」。いや違います。
単なる居酒屋でもイベントスペースでもないこちらのお店は、経堂じゅうで知らない人はいない、「経堂コミュニティ」のキーステーション。「知り合いがやたらと増える、ご近所づきあいのメッカ」という表現が一番ぴったりくる。そんな「さばのゆ」では、毎晩のように落語会や朗読会、缶詰祭りなど、楽しいイベントが催され、ふらりと立ち寄ったお客さんたちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。
地縁や血縁などを超え、人と人とが自然につながり合うコミュニティを作られたのが、経堂在住歴約15年のオーナー・須田泰成さん。日本でのモンティ・パイソン研究の第一人者であり、コメディライターや放送作家としても活躍する須田さんが、なぜ「さばのゆ」を作ったのだろう。
須田さんはこう答えてくれた。「長屋みたいな暮らしをしたいなぁと思っていたんですよね」
ルーツは「電話もシェアする長屋暮らし」
大阪・寝屋川で生まれた須田さんは、四軒長屋で育った。1960年代の高度経済成長時代、全国各地から色々な人が大阪に集まり、十何棟もある長屋に集まって住んでいたとか。
「親が法事などで忙しい時は、お隣の西山さんのお宅にいって、西山さんのお宅の子どもたちと一緒にご飯を食べたりしていました。預けたり預かったりが多かったんです。醤油の貸し借りも当然ありましたしね」
核家族化が進む今では、お隣さんに子どもを預けてご飯まで食べさせてもらうというのは、なかなかハードルの高い話だけれども、それが当たり前だった当時のコミュニティ。
「電話の貸し借りもしていたんですよ。電話は余裕のある家にしかなかったから、その家に電話がかかってきたら、呼びに来てくれるんです。学校からの連絡とか、田舎からとか」
お隣さんが電話を貸してくれる?
「そう、隣の家の電話で話をしていたんです。家と家の垣根がとても低くて。クラス名簿にも、電話番号欄に「石田様方」って書いてあるんですよね。『うちには電話がないから、隣の石田さんところにかけてください』っていうことなんですよね」
物でも時間でも、持っている人は持っていない人に分けるのが普通。そうした緩やかなコミュニティ文化の中で育った須田さんが、上京して住み始めたのが経堂だ。「色々な地方の人がいて、世田谷なのに街の雰囲気が長屋に近かった」という居心地の良さに惹かれて住み始めた。
しかし、2000年頃を境に静かに危機が訪れた。
規制緩和によって、経堂の商店街にチェーン店などの大資本が進出し始め、経営が立ち行かなくなる個人店が増えてきたのだ。その結果、須田さんが大好きだった『からから亭』というラーメン屋さんの経営が苦しくなってしまう。
応援しあうことから始まったコミュニティづくり
「自分にとって居心地の良いところがなくなり、人がいなくなるかもしれないというのは、すごい恐怖だったんです。そこで皆で何かをしようということで、『からから亭』のホームページを作り、お店を応援するためにメーリングリストを作ったら、読者が200人位集まって」
合わせて、2002年には自身が立ち上げていたメーリングリスト「経堂系ドットコム」をホームページ化。経堂のお店一軒一軒と付き合うようになり、人が関係し合う長屋感のある街ができてきたという。その緩やかなコミュニティの中心となる場所として、2009年につくられたのが「さばのゆ」だった。
銭湯によくある富士山の壁画が、店内にも。
銭湯のような名前のわけは…
「昔は内風呂のある家が少なかったから、みんな一日の終わりに銭湯に行っていました。脱衣所で顔をあわせて会話が生まれ、定休日には芸人さんを呼んでアトラクションがある。そういう場所を作りたいなと思っていて。実際3年前に経堂から銭湯がなくなってしまったこともあって、『さばのゆ』にしたんです」
震災を経て、日本全国に広がる「長屋感」
「さばのゆ」の特徴は、須田さんが積極的に企画を仕掛けるというよりも、お客さんも交えたつながりの中で「じゃあ、やりましょうか」と自然発生的に企画が立ち上がるところだ。その背景をこう語ってくれた。
「3年前のリーマンショック以降、景気が本当に冷えてくるようになって、皆が助け合うのがリアルになってきたと思うんですよね。今回の震災を経て、より人と人とのつながりが大事になってきたのではないかと」
最近では、宮城県石巻市の水産メーカー、木の屋石巻水産の復興支援にも注力している。
もとはと言えば、数年前に「さばのゆ」のイベントに来た同社の社員と、下北沢で人気カレー店を営む松尾貴史さんがたまたま出会って話がはずみ、共同開発の末に「スパイシー鯨術カレー」が誕生したことから縁が生まれた。
しかし、カレーの完成直後に起きたのが東日本大震災。木の屋石巻水産の工場も、流されてしまった。直後から「さばのゆ」では石巻への物資支援を開始。また、工場跡地に埋まる泥のついた缶詰を掘り起こし、「さばのゆ」のお客さんがボランティアで洗い、その缶詰を使った料理を経堂コミュニティの飲食店でメニューとして出す取り組みも行われた。
そんな中、石巻だけでなく、新潟・十日町や福岡・小倉など色々な地方とのつながりも出てきたという。
工場跡地から掘り出された缶詰。お客さんも一緒になって泥を洗った
「日本列島を長屋に見立てたいんですよね。石巻もちょっと先の家という意識でいるんです」
自分たちの力で、ゆるやかにつながる日本をつくる
落語会に来ていたお客さんは「さばのゆ」の面白さをこんな風に語ってくれた。
「初めて来た時にびっくりしたんです。落語を聞いた後に落語家さんと車座になってテーブルを囲み、飲みながらお話ができる。そんなお店、ないですよ」
確かに一般の飲食店にあるような、間仕切りもなければ、個室もない。店内にあるのは、沢山の椅子とビールケースを重ねたテーブル。落語会が終わったら、お客さん自らがテーブルと椅子を並べるのを手伝う。そして、肩を寄せ合いながら、知らないお客さんと「どうも」と会話が始まる。
初めてのお客さんも不思議と溶け込める、垣根のない空間
そんな仕掛けについて、須田さんはこう語る。
「単に食べるだけじゃなく、隣に座った人と友達になる。そういう人の顔が見える関係を広げたいんです。経済効率だけで言うと非効率かもしれないけれど、人と人とが顔を合わせてじわっと人間関係を熟成させる。そういうことが出来てくると、街としては逆に希少価値がついてくると思うんですよね」
桂吉坊さん(左)と須田泰成さん(右)
落語会もあれば、缶詰イベントもあり、被災地支援も行う。「長屋感」のあるコミュニティは、まだまだ色々な可能性を秘めている。中でも特に大事なこととして、須田さんは「横のつながり」を挙げてくれた。
「東北復興は物凄く時間がかかると思うし、一方で日本はこれからも至るところで災害が起きると思う。であれば、ひとつの街で物資が足りなくなったら、余っている街とシェアすればいい。そういう長屋的な感覚を、もっと全国的なものにしたいですね。国に頼るのではなく、自分たちの力でゆるやかにつながっている日本を作らないといけないと思うのです」
「コミュニティの力」が問われ始めた日本。しかし「どうやってコミュニティを作ればいいのか分からない」という声も多数聞かれる。でも「さばのゆ」で肩を寄せ合いながら、色々なお客さんと話をしていると、その答えがおのずと見えてくる。
コミュニティとは、誰かを応援することから始まるのかも。【了】
文責:田口歩